このコ
ーナーは朝岡氏、カナダのグリズリーベアー(灰色熊)のコーナーです。
07/02/04
5月、熊ホリデーIn Japan.毎年恒例の京都大会。
4/28日、バンクーバー発
4/29日、日本着 京都入り、
4/30日、京田辺にて武講同窓会、居合道、剣道、形、の研修
5/01日、同じく、武講会研修。夜、京都市内に戻り宿泊。
5/02日、武徳殿にて居合道演武見学か剣道八段審査見学、若しくは京都散策。夜は稽
古有るのかな?
5/03日、朝稽古、昼から道場連盟の稽古会。夜は西村塾が有れば参加。
5/04日、朝稽古、昼から、京田辺で電脳会稽古会に参加。
5/05日、朝稽古、立会い、大会終了後、新幹線似て東京へ、
5/06日、野間道場の朝稽古に参加予定。
5/07日、警視庁朝稽古、参加予定。午前中の新幹線で富士宮へ、
5/08日、午後藤枝に移動、夜、養心会稽古会参加。
5/09日、養心館道場看板を受け取り、一路名古屋へ。
5/09日、予定未定。
5/10日、予定未定。
5/11日、夜、常滑市の稽古会参加。
5/12日、特急で富山に移動、高岡市、志貴野剣道会で稽古。
5/13日、午前、富山県警機動隊道場で稽古。午後は市内散策。
5/14日、高岡市武道館、若しくは、古巣の凌雲館で稽古。
5/15日、生まれ在所の祭り、見物。
5/16日、帰国。
これが熊さん日本ホリデーの使い方。元手が掛かっているから、元を取らなきゃ損だ
からね。 3週間これで終わり。でも剣道だけ考えて居ればいいのだから、幸せと幸せ
が鉢合せしているね。4あわせ+4あわせ=8あわせ。
此処でクイズ。100人に聞きます。熊夫婦が日本にホリデーに出かけたら、その費用は?
計画予算当てた人。お土産進呈。旅行後、計算してパーフェクト当選者に。にカナダ
往復航空券プレゼント。6発中旬〜月末。日本から千葉ちゃんも来る予定だよ。笑。
最高のカナダが観れる季節だよ。おりしもバンクーバーはjazzフェステの最中。
応募条件は、その時期、道具持参で,カナダで稽古できること。
07/01/27
最近、良い天気が続いているので、気分爽快。おまけの夜中、寝る前に1時間以上ヌ
ル目の風呂に入り、湯船で本を読んだり、色々構想を練ったりしてじっくり汗を掻
いている。お陰で、熟睡が出来て目覚めが非常に爽やか。
昨日久々に、中村天風先生の本を読んだ。自分の運命は自分が運ぶ物、今、自分の身
の回りで起きている事は、必要不可欠で起きている、だから全てを肯定して、それに
謙虚に対処していく事で自分の運が開ける。
ひねくれて、物を考えていた若い頃、自分は付いて無い男だと思っていた。処が有る
ことを切欠で、この本を師匠から頂き、別世界に出会った気がした。
考えてみれば自分ほどついている男は居ない。今はそう感謝している。熊はどちらか
と言えば無神論者だ。
有る特定の、神や、仏、や宗教などは持たない事にしている。だが、宇宙には何かし
ら、偉大な力が働いていると言う事は実感している。
其れを熊は絶対の宇宙真理、宇宙のパワーと位置づけていて、熊に信仰というものが
有るとすれば、其れを信じている。だから、その宇宙が、全てにおいて自分の人生に
+に働いて、全てを司っていると考えている。
成る物は成る、成らぬ物は成らない、成らないものに無理をして、成らそうとするか
ら、人生が狂いだす。
成る物に従順に努力をしていく、其れが一番良いと考え出した。それで全てが好転し
だした。
そして過去は一秒でも過去、絶対取り返しが付かない、だから、後悔はしない事に決
めた。過去は、経験と言う肥やしにしても、それに付いてクヨクヨ考えない事で、心
が明るくなった。
必要不可欠で起きた事なら、必ず其れを肥やしに、更なる飛躍が有るのだと信じてい
るからだ。事実、不思議とそうなって来ている。
だから、未来についての心配も無い。何が起ころうと、其れを肯定して、その都度全
力で対処していけば良い。
その時点で、力を発揮する為には、自分の、回りに出きるだけ正心維持の邪魔をする
物を遠避けている。
悪が覗き見る世界を回避して、正義だけの世界を見る努力をしていく。それで、心に
は何の心配も無くなる。
人間は自分の知識と経験の中で、自己判断でしか物事を考えられない。とその書物の
冒頭に書かれていた。
だから世界、次元の違った考えは、時に人に受入れられない。だから、人と、出きる
限り争わない事にしている。
次元の違った、考え方の違う人々と、言い争ったところで得る物は無い。
剣道は気争いである。だから、他で無駄な気争いは出きる限り避ける努力をしてい
る。何故なら、剣道で確り気争いををする。そのために他で「気」の無駄使いは出き
る限り避けたほうが良いと考えるに至ったからだ。
天は、自分の努力に値する力を与えてくれる。そう信ずれば、正しい努力を続けてい
くしか方法は無い。
正しい、努力に対してだけ天はその見返りに、偉大な力を注いでくれる。其れが稽古
を通して学ぶ事では無かろうか。
07/01/21
今朝、偶然にエレキギターの神様、寺内タケシがエレキギターを説明する子供番組に
出ていた。
恐らく70歳を超えているであろう彼が、「遣れば遣るほどエレキギターが段々遠く
になっていく」と言い、
年間180回を超えるコンサートも其のたびに分からない事が出てくると言ってい
た。
人目には、ギターを自由自在に操り、彼独特の演奏スタイルを作り上げ、昭和38〜40
年頃のエレキギターブームの先駆けになった人物である。エレキギターを遣る方な
ら、恐らく彼の影響を受けていない人は居ない、と言われる位のエレキギターリスト
である。
其の彼が「まだエレキギターの入り口までも達していない」と言う。彼だからこそ、
ギターの奥深さを身に染みての言葉ではなかろうか。
剣道の世界でも、物凄く酷似しているように思う。遣れば遣るほど、理解が深まれば
深まるほど、其の世界は広がりを見せ、奥深さを覗かせてくる。剣道界では「四段五
段はハナタレ小僧」等と言う酷評も有るが、当たるを幸いに、いい気に成っていた若
い頃。大学剣道部出身者が大体は陥る田舎へ帰ってからの挫折。
分かっているようで分かっていないのも剣道だ。恐らく彼もギターはかき鳴らせばい
いと考えていた若い頃もあったと思う。彼のギターを聴いた方なら分かると思うが、
彼のテクニックは恐らく世界でも屈指ではなかろうか、
其の彼が、70を過ぎて、ギターの本質を見極めようとして其の奥深さにさまよい続
けて居るのかもしれない。
熊も60歳を超えて、有る程度は人並みに叩き合いも上手くなった。20代の若者と
も互角以上に遣れる。
気も、見切りもそれなりに出きるように成ってきた。だが、其れが何なのだ。と、問
われれば何のことは無い。
体を掛け、打つ事、交わすこと、攻める事、見切ること、溜める事等と遣っては来た
が、其れが何だと言われれば、何も残っていない。
うがった見方をすれば、ただ、人の頭を叩いてきただけではないか。其れが本当の剣
道で有ったのかどうなのかは、分からない、「剣道は生死の境を明らめるもの」と我
が剣道の神様は言うが、自慢じゃないがそんな気分で稽古をしたことなぞ、正直あり
はしない。
そう有るべきだと、努力はしているが、そうやすやすと出きるものでもない。
ならば、結局、今、行じて居る熊の剣道とは一体何なのか。恐らく誰にも永遠に答え
の出せる問題ではなかろう。だが、ココまで来たから、逆にそれに気づかされたのか
も知れない。求めようとして求め、身体を苛められるだけ苛めてみた時代もあった。
断食をして稽古をした事も有る。風邪で仕事は休んでも稽古はした。
足首を捻挫して、自転車のチュウブを足首に巻いて稽古もした。
若い頃、先輩との突きの稽古で鎖骨に何度も皹が入り、右肩の鎖骨が太く変形してし
まった。その先輩との稽古で、何度も天国に行きかけた。気絶をした事も多々ある。
癌手術の、前々日まで道場に立った。丁度其の日、日本から来加された剣客がど肝を
抜かれていた。
医師がさじを投げた、大腸癌手術からの奇跡の生還を成し、其の日に道場に出かけ、
其の翌日は道場に立った。剣道の稽古は出来なかったが、居合いを抜いた。生徒は
皆、幽霊を見ているようだったと言う。
術後、一月で面を付けた馬鹿である、剣道で死ねれば本望と、粋がっていた。
いまやそんな過去ですら、自己満足にも成らない。道は遠く、その道が何だかすら解
らない。
だが何故か今もって探しまわっている。宝島の宝を探し回る、愚にも似た事を、平気
で遣っている。
いい加減に、諦めれば良いのに、馬鹿げた事に命をかけている。
恐らく、寺内タケシもギターに命をかけているのだと思う。だから、分からなくなっ
て居るのだと思う。
遣れば遣るほど、分からなくなる。其れが道なのだと、今は自分に納得させている。
07/01/14
昔、昭和の50年代だったと思う、西善延九段範士が、「今の国士舘は試合に勝ち
すぎる、アレではいかん」と言われた事を思い出す。
そして、其の後、西先生の弟子で、国士舘で勇名を馳せた、M選手が全日本でも活躍
して、時代の寵児になった。そして、数年がたち、M選手が全日本で活躍できない時
代が来た。
其の頃の試合を見られた西範士が,「Mも、もう勝てなくなったな、剣道が良くなったよ」
と、言われた言葉が耳に残っている。
有る時又、熊の先輩で国士舘の大将を勤めた人が、当時の師範、大野範士に、
「大野師範に物申す、」とやはり、国士舘の試合に勝つことを苦言を呈したらしい。
豪傑が居た物だ。
殆どの古い、国士舘の先生方は、試合に勝つことを戒められていた時代があったよう
だ。それは何故。
話は変わるが、時代小説をお読みになる方なら、この逸話は有名なのでご存知と思う
が、近藤勇、天然理心流、竹刀剣道華やかなりし頃、道場破りに根を上げて、他道場
の、桂小五郎、等に助け舟を要請して、急場を凌いだ話が有る。竹刀剣道には事の他
弱かったようである。
だが、其の近藤勇の新撰組が、白刃を持った時の強さは、皆が認めるところでは無か
ろうか。
これが、昔の国士舘の先生方が言わんとされていた、秘密が隠されているような気が
してならない。
竹刀剣道、現今の試合、恐らく、時代が語るように、刀の真剣勝負ではものの役に立
たない。
だから、試合に勝つ剣道を戒められた気がしてならない。
いま、剣道界は八段が最高段位となってしまった。現在でも数名の九段の先生方がご
健在で有るが、
この九段に成られた先生方で、全日本の優勝者がお独りも居ない。其れは何故。
その辺の矛盾を、剣道の試合を奨励してきた全剣連が如何ともし難く、若し、八段止
まりに規約を決めたとすれば、
何か寂しさを感じてしまう。勿論其の背景には色々複雑な要素が見え隠れはしている
が、段位はやはり強さの象徴で有るならば、十段制は復活して然るべきでは無いのだ
ろうか。
剣道の学ばんとするところの奥深さを、八段止まりでは、白刃を持った時の強さな
ど、空念仏に等しい。
勿論、今の現代、まかり間違っても白刃を手に戦う事は有るまい。
だが、其の精神性は、剣道を通じて学べるのでは無いだろうか、其れを、八段止まり
としてしまえば、其の精神性すら、学ばずとも良いと言われているような気がしてな
らない。
同じ八段の中にも月とスッポンほどの実力の差が有る事を身に染みて体験させて頂い
ている熊としては、やはり、強い方は、九段、十段と精進されてこそ、本来の修練の
心構えが活かされてくるのではと考えている。
07/01/06
新年つぶやき、第一弾で小川忠太郎範士の事を書いた。沢山の反響があり、改めて先
生の偉大さを噛み締めた。まだ、小川先生に興味の有る方は武者修行のほうにも別口
で書いたので、お読み頂ければ幸甚です。
ではもう一つ、お話をご披露致したく思います。皆さんは木鶏の話をご存知か、それ
以上に凄い事を感じた男、少年の話です。愚息、白熊は二才半歳で初めて、羽賀忠利
範士にお目見えし、三歳半で忠太郎範士にお目に掛かっている。
勿論、白熊は其の年齢、先生方がどれだけの偉人で有るか其の当時の彼には理解の範
疇を超えている。
だが、11歳の時から、再び羽賀忠利範士の薫陶を得ていた、其の頃なら少しは話が理
解できる様に成っていた。
彼が12歳の時に佐藤博信範士の薫陶を得るに至って、両範士聞かされる話から、小川
忠太郎先生は、恐らく神様的存在として、かれの心に、映っていたに違いない。
彼が15歳の夏、警視庁に武者修行に出した。勿論、170CM身体は大きくとも、子供
である、警視庁の厳しい稽古のどれだけ付いていけるか、無謀としか言いようの無い
試練を彼に課した。其の背景には、佐藤範士が、将来、彼を警視庁に入れないか、と
のお誘いが掛かって居たからである。お目に留まったポイントは、基本が確りとして
いたからであった。
佐藤範士曰く、今の日本では試合試合で、基本がまともに出来ている子供が居ない。
だから彼なら基本が確り出来ているので、将来必ず伸びる。若し18歳までに試合で勝
てるように成っていれば、面倒を見ようと、ありがたいお誘いを受けていた。
彼は私に似ず、家内に似たお陰で、学業の成績が良かった。そこで、羽賀範士にも其
の話をしたら、剣道の専門家になる人も大事だが、学業が出きるのであれば、そちら
を活かして、剣道を通じて世の中のためになる人間も必要なのだ、ということを愚息
に説いた。
正直、私は迷った、私は剣道馬鹿で有るから、かれに専門家の道を選んでもらいたい
気持ちもあったが、彼の人生で有る、親が勝手に決めて良い訳が無い。だから彼に決
めさせる事にした。15歳で其の稽古を味わい、それに付いていけるかどうか、経験さ
せるのも悪くは無いと考えた。それで夏休みを利用して二ヶ月、送り込んだ。
当時警視庁武道館は、東京の春日に有った。其のすぐ横に、西山進先生の道場があ
り、そこで生活の面倒を見ていただくことに成った。朝7時からの早朝稽古、9.30時
からの午前稽古、2時からの午後の稽古、そして夜の西山道場での稽古。彼は、其れ
を全てこなしたそうで有る。
其の稽古がどれ程すざましい物であったか、三ヶ月前に新品でそろえてやった高校生
用の道具、面の顎が腐り、面金の天が折れて落ちた。ファイバー胴に皹が入って割れ
た。道具破損の電話が掛かって来たとき、知り合いの道具屋に大至急、新品の大人用
の道具を送って欲しいと頼んだ。
西山道場の備え付けの道具は一日だけお借りする事で、何とか凌いだ。暑い夏であ
る、だが道具の乾く暇が無い。顎が腐り突き垂れが外れる、面の天が抜ける、胴が割
れるどれだけの稽古をしたかご想像願いたい。
そんな折、全剣連の合同稽古会が武道館であった。そこで11年ぶりに小川忠太郎先生
と再会することになった。勿論、小川先生は愚息の事など知る由も無い。白熊が、道
場に立ち、小川先生を見たとき彼は感じたそうで有る。先生のお稽古されている場所
だけがスポポットライトを浴びているように感じた。光り輝いていたと。
彼は引き込まれるように小川先生の列に並んだ。そしてお稽古を頂いた。其の夜、彼
は興奮して家に国際電話を掛けてきた。
「お父さん、小川先生と稽古が出来た、お父さん、僕、小川先生を打てたよ。だけど、
小川先生は、全然動かれないんだ、だから、簡単に打てるんだけど、其の内に打つの
が怖くなってきた。何をやっても動かれない。
小川先生は道場に立たれているけど、死んでるよ。全く動じることが無いんだ。アレ
は死んでいなかったら出来ないと思う。」
私は其の話を電話口で聞いて、背中に寒さが走った。たかが、15歳のチュウボウであ
る。
彼が小川先生の、不動心を目の当たりに見て、体験して、其の言葉が、「死んでいる」
だった。
そうだったのかも知れない。小川先生のお稽古は其の頃、もう既に生死の境を超越し
ていたのだと思う。
其の話を聞かれた、羽賀範士は、講演の有るごとに話されたと聴く。高々15歳の子供
でも其処まで悟れる。
其処まで感じられるのだ。大人のほうが、心が曇っているから、其れが見えないのだ
と。
剣道は打ち合いでもなければ、叩きあいでもない。心が動けば負け、心が曇れば負け。
生死を掛けたその場で、人間、如何な生き様を見せることが出きるか。高々竹刀の叩
き合いで、びくびく、心が動く。情けないものだ。
小川先生は、活きながらにして、既に死を超えられていた。「剣道は生死の境を明ら
めるもの」といわれて、
とうとう其れを実践されるまでに昇華されていた。恐ろしいまでの剣道に対する執念。
先生御門下に偉大な先生方が沢山輩出されているのも、何等不思議ではない。
私も未熟ながら、其の先生方の後を何とか着いていきたいと念じている。
07/01/02
皆様、新年、明けましておめでとう御座います。
このサイトを、去年の暮れで止めようかと考えた、剣道を心から愛し、其の文化を出
きる限りカナダに正しく伝えたいと命を懸けてきた。其の為に仕事も変え、生活の全
てを剣道中心に生きてきた。
ところが、本家本元の剣道界は益々悪く成る一方で、とうとう範士にまで、褫奪、返
上の汚名が下っては、それ以下の未熟者が、幾ら剣道は人間形成の道であると説いた
ところで、臍茶ものである。
まあ、剣道とて、所詮は人間のやること、全剣連会長ですら、勝ち負けだけしか考え
ていないのだからしょうがない。自分も人生を振り返ればそう褒められたものではな
い。そんな矛盾をどうする事も出来ないもどかしさで、
このサイトを「止めようとおもう」と書いた途端、沢山の方々から、存続して欲しい
と頼まれた。
其の中に、母子家庭で、剣道とは全く関係ない環境で、男のお子さんをお持ちの母親
から、このサイトで、男としての生き方を子供に勉強させて頂いてる、とメールを頂
き。正直驚いた。
こんな拙い、下らない、ボヤキにも似た、一剣道愛好家のサイトが、世間様のお役に
立っていたとは・・・
不用意にも、サイトを止めようなどと書いてしまった事、大変申し訳ない事をしたと
恥じている。
さて、後悔の念から始まった2007年のつぶやき、今年はどうなる事やら・・・・・
年頭に当たり、私が今ここでこうして剣道を続けてこれた背景に小川忠太郎範士九段
の影響が大である。
小川先生は、国士舘大学で指導をされていて、後に警視庁でも指導をされた大先生
で、持田盛治十段のお弟子さんであられた。
私の、関係してきた、全ての先生方が小川先生の薫陶を受けておられる。
村雲清信、羽賀忠利、西善延、中西康、楢崎正彦、全てが国士舘、小川門下の先生
方、
おまけに、
森島建夫、佐藤博信、中村毅、他警視庁の先生方も、小川先生の薫陶を得
てこられた
方々だ。
有る時、佐藤博信先生に聞いた話、当時の警視総監まで、小川先生の講話、お説教を
聴かれて勉強をされたらしい。小川先生は、禅の大家でも有られた。だから其の死に
際は見事な生き様を示されたと聞く。
自分の死を悟られた、三日前、知人親戚に、「もうこれでお目に掛かれません」、と
ご挨拶をされて、斎戒沐浴をされて白装束に着替えられて、辞世の句を書き残された、
「我が胸に、剣道理念抱きしめて、死に
行く今日ぞ、楽しかりけり」見事としか言い
様が無い。
この剣道の理念を全剣連で纏められたのが小川先生で有られた。
こんな先生に、「お前が剣道だと思って頑張りなさい、カナダに行ったら恐らく稽古
相手が居ないでしょう、素振りを毎日することです、毎日やれば弱くはなりません、
必ずやる事です、そして弟子を育てなさい、弟子を育てて、其の弟子達と、切磋琢磨
するのです。剣道は何処でも出来ます、心掛け次第です」
この言葉が、熊の剣道人生を支えてきた。そして、未熟ながらも、そのようにやって
きた。教え子も増えた。
中には独立して道場を持ったもの、破門されて道場を構えたもの色々では有るが、
今、養心館で稽古している連中は、少なからず、この小川先生の心を羽賀忠利、そし
て熊を通して、学んでくれているものと思う。
幾ら、剣道界が変わろうと、剣道其の物は変わりはしない、其のやる人間の心如何で
よくもなれば悪くも成る。
だから、少なくとも、養心館だけは、本物の剣道を追及して行こうと、新たに誓いを
立てた。そんな2007年の正月を迎えた。おめでたい。其れを気づかせてくれた、
日本の剣道界に感謝する。
06/12/27
多分これが本年最後のつぶやきになるか。それとも、これでサイトを閉めて止めよう
かとすら考えている。
余りにも日本の剣道界があほらしすぎるからである。
世界大会の件に関してはもう書かないでおこうと考えていた。敗者に鞭打つ事はした
くない。
それに、世界大会男子個人優勝戦、の試合を見て、日本には、もう既に、剣道が無く
なり、運動だけが残っている、と考えたからだ。お互い三処避け、から鍔迫り合いで、
試合が始まった。正しい、心栄えの剣道、心を育む剣道なんて何処にも有りはしない。
そう感じたからだ。
外国に住む一剣士に、このように言われる事は心外かも知れないが、図星でしょう。
残念だがね。
それを裏づける記事が、全剣連会長の言葉、として、「剣窓」に出ていた。やはり、
と思ったね。
世界大会で日本が、負けたことは、「歴史的屈辱」だそうだ。其の剣道を指導遂行し
てきた、連盟会長の言だ。昔から、武士なら、「敗軍の将、兵を語らず」と言う事
が、武士の美学では無かったのか。
其の敗軍の総大将がこの言で有る、兵になんらねぎらいの言葉も無く、思いやりの欠
片も無い。アレは全剣連、抜粋の代表する選手たちではなかったのか、それを指導し
試合剣道を遂行してきたのは、他ならぬ全剣連ではなかったのか。
選手は教えられた通り、一生懸命に遣った。その結果負けたのだ。それを自分たちの
指導を反省する事も無く、頑張った選手を、使い捨ての、ゴミの如く「歴史的屈辱」
まるで、汚物扱いではないか。
少年剣道を真剣に支えている、父兄の皆さん良く考えていただきたい。
皆さんが今、目指させている試合偏重の剣道界、心を育て、腹を練る事を忘れた剣
道、尊い子供の汗と、皆さんの献身的努力、其の行く末が、歴史的屈辱と打ち捨てら
れる、姿を目指させている訳ですよ。
おまけに、剣道界最高峰の範士ですら、褫奪、返上の汚名を着ている。試合試合で、
有名に成られた範士に、範士としての心構えの有ろう筈が無い。
其の範士は全剣連会長特権で範士に推薦された、だから、剥奪が出来ないから、返上
とカッコだけつけて、体裁を整えた。それが、今日本の剣道界の現実の姿。会長自ら
が御見せになった、汚心、ハラ黒さ、胆力の無さ。密室審査批判を雑音と言い放った。
其の謙虚さの片鱗も無い、連盟の指導の下、大事な大事な、自分のお子さんを、試合
試合に明け暮れて、勝ち負けのサイボウグに仕立て上げようとしていませんか。
文武両道を忘れて、剣道で、進学できる等と、甘い誘惑に負けて、武だけに偏ってい
ませんか。
子供達が貴重な人生を掛けて、頑張っている剣道。皆さんが正しい剣道だと信じて、
子供に遣らせている剣道、会長自らが、汚物としてしか評価をしていない。これが現
実なのですよ。
私は、いま、非情に自分の幸運を神に感謝せずにはいられない。薄汚れた、日本の剣
道界に身を置く事無く、立派な大範士の先生方の教えを忠実に守れる環境で、子供た
ちに真の剣道を指導できる環境に住める事。
自らの未熟を知り、生徒と共に切磋琢磨できる。こんなに有りがたい事は無い。
そして、親爺、羽賀忠利範士が自ら作られた「養心館」何故外国のカナダに残されよ
うとしたのか、其の道場の命名の意味、お考えを今だ聴いたことは無いが、其のお考
えの深遠さを拝察すると、其の責任の重大さに身の毛がヨダツ。
先日、一人の大範士から、年賀状と、クリスマスカードを兼ねた挨拶状が送られてき
た。
其の中に、「日本の剣道界大変なことに成りました。外国の先生方のご指導を仰がね
ばならない時代になりました、今後共、宜しくご指導を」と結ばれていた。
丸きりの冗談とも取れまい。しかも、警察剣道界で、ご指導のトップに立たれていた
先生のご挨拶だからこそ、尚更に、熊の心に響いた。試合偏重の剣道界、心を忘れて、
勝ち負けにだけに拘ってきた剣道界の負債が、2006年の瀬に、どっと、まわってきた。
この負債は、100万人を超える日本の剣道界一人一人の自覚と、責任において返済し
て行かなければならない。外国からは何等支援は出来ないのだ、何故なら、剣道宗主
国を名乗る以上、自己破産は誰も認めないからだ。
06/12/20
幕末の頃、九州から江戸に出てきて、七尺の竹刀を使い、道場嵐をした剣客が居た。
それに対抗するために、桶のふたを鍔にして戦った史実が有る。又、有る流派では、
足を狙うのが専門の流派も有った。
つまり剣術と呼ばれた時代であれば、勝つためなら何をしても良かったわけである。
ところが、それに歯止めをかけた人物が居た、講武所会頭の男谷精十郎、竹刀の長さ
を現在の基準になった、三尺八寸に決めて、小手、面、胴、突きと部位を決めて、お
互いの制約の中で、心身、技量の鍛錬を図る事を奨励した。
幕末、黒船が来る、祖国防衛、武士の本文戦闘の機運も高まり、激剣の稽古も盛んに
成った。戦いだけの稽古であれば剣術、何処を如何切ろうが突こうが、お構い無しの
はずである。無軌道お構い無しのはずである。
ところが、何故、男谷はそれを決めて、奨励したので有ろうか、つまり、剣術を剣道
にまで昇華させようと図ったのではなかろうか、事実、彼の弟子、島田虎之助が、残
した教えの中に、皆さん誰もがご存知の、「自づ剣を学ばんと、欲する物は、心より
学ぶべし、心正しからざれば、剣又正しからず、心正しければ剣又正し」
と言った意味の物が有る。
こういう教えで、教育したから、幕末の偉人、勝海舟や、山岡鉄舟、などの素晴らし
い人間が育ったのだと思う。勝海舟や、山岡鉄舟の胆力が常人とは異なっていたこと
は、歴史が確りと物語っている。
この二人の人間が居なかったならば、江戸の町は焦土と化していたに違いない。
で、それを元として考えた場合。今剣道界に流行している、「三処避け」は、先人賢
哲が、無軌道の剣術を剣道に昇華させようとして、取り決めた、ルールを悪用してい
るだけではないか、勝つために何でも遣ると言う、術の世界に戻ってしまったのでは
無かろうか。それならば、いっそのこと、三処避けがOKなら何処を叩いても突いても
良いのかと言うことになりはしないか。
小手、面、胴、突きは便宜上決められた、打突部位である、それを隠して戦う。?こ
れが本当に心栄えの良い剣道だろうか?当然あの状態から打突をしても正しい刃筋が
通るとも思えない。
正しくない行為だと言う事は剣道人ならお分かり頂ける物と思う。つまり「心正しく
ないわけである」
このように書き出すと、又それならお前が見本を示せ、等と言う人が出てくるであろ
う。問題はそんなに程度の低い問題ではない。何故、剣道界が一丸となって、悪い行
為に歯止めを掛けて、撲滅しょうとする努力をしないのか?私はそれが不思議でな成
らない。赤信号を皆で渡る。、まさにこの行為を奨励している。としか思えない。
だから私は欺き合い、フェンイントを掛ける騙しあい、だというので有る。
特に少年剣道は、純真な心を育まなければならないはづなのに、人間形成を謳う剣道
界がこれでは、如何な物か?私が、如何のこうの言える立場ではないが、、剣道を心
から愛する者の一人として残念でたまらない。
今まで私が接してきた、多くの範士、および八段の方々が異口同音に私の言ってる事
を唱えられる。
私はそれを、ここで文にしているに過ぎない。
現状の剣道界を見渡せば、この先生方が外国で嘘を教えて行かれたのであろうか。絶
対そうでは有るまい。
剣道は、人間形成の道で有る、と謳う以上、心栄えの良い剣道で有りたいと願う。
一人一人の指導者がそれは恥ずべき行為だと子供に知らせれば子供は必ずやめるに違
いない。
事実、私の道場の生徒で、誰一人、三処避けをするものが居ない、打つ打たれるでは
ない、打たれる前に心を崩されたら負けなのだと言うことを常々口にしている。姿勢
が崩れるのも心の崩れ、手元が浮くのも心の崩れだと指導をしている。心が崩れるか
ら、結局は打たれる事に繋がるのだと言う事を皆自覚しているからだ。
まだまだ、未熟者同士の稽古ゆえ、手元が上がる事はママ有る。姿勢の崩れる事も、
たまには有る。
私が生徒と稽古をするとき、攻めて入って、生徒の手元が浮いたら、打たないで顔を
見てやる事にしている。
打つよりは余程効果が有る。手元を浮かされた、心を崩された、悔しさが顔ににじみ
出てくる。
胆力が無かった事を知るからだ。だから皆崩されない稽古を心掛けている。
だが、三処避けは、皆、卑怯と捕らえているので、絶対誰もやらない。心栄えを大切
にしているからだと思う。
剣道人で有る以上心栄えを大事にして精進を続けたいと考えている。それが剣道の原
点だと考えているからだ。
06/12/17
剣道を遣る上において一番大切なことは、心栄えではなかろうか、剣道ウエッブサイ
ト、1、2の会の管理者、Hideさんはそう訴えている。熊も同感である。彼は、若い
頃、故 渡辺敏夫範士に薫陶を得られたらしい。
偶然だが、熊も若い頃、渡辺敏夫範士に可愛がられた。記念に頂いた、先生の竹刀を
大事に保管している。
そういえば、今まで、沢山の先生方から頂いた竹刀は全て我が家の竹刀立てに保管さ
れていて20本を超える。
中には熊よりも若い先生方のものも数本有るが、たまに、其の熊コレクション、の竹
刀を手に取ると、先生方の剣風が脳裏に浮かんでくる。
話を戻すが、其の1.2の会で、全日本や、世界大会の、話が出て、色々書かれている。
私のサイトよりは、巨大サイトなので、沢山の方々が参加されているが、皆さん、
確りと、サイトのルールを守られているようだ。誠に参加されている皆さんの意識
の高さがうかがえる。皆さん、剣道を真剣に考えて居られる方が多いのには敬服す
る。
さて、少し専門的に成るかも知れないが、其の渡辺範士に一番初めてご指導頂いた時
にお聞きした言葉。
「一眼、二足、三胆、、四力」にかこつけて、話して見たい。
一眼=は相手の動きを見る、読む、感知する、洞察する。と言う能力を一番に開発し
なければならない。と言うことだと思う。観働きも、反射神経も其の中に入るのかも
しれない。
二足=つまり、足捌き、体の移動、思い切りの良い捨て身の打ち込み、等を、身体を
かけて学ばねば成らないということか。
三胆=いざと言う時、ギリギリの限界まで、冷静沈着に判断を誤らないで対処できる、
いわば度胸、見切り、胆力を養えという事。
そして、四番目に力が来る。力は、腕力ではない。筋力、体力でもない。柔らかな技
術力であろうと思う。俗に言う冴えた打ちを学べと言うことだと思う。
大事に学ばなければ成らないことを、順次書き記された教えである。
こうして見てみると、昔からの教えには真理が有る。そこで、今日の熊が愚考を述べ
たいのは、一眼と三胆の関わりについてである。
先ず初心者の頃は、反射神経を身に付け、相手の動きに素早い動作で対処できる事を
学ばねばならない。
段々、上に上達するに従い、観働きも養い、感知、洞察力も養える物と思う。
ところが、ここで、考えなければ成らないのは、反射神経が良いと言うことは、相手
の動き、気配に、非情に敏感に成ると言う事でも有り、つまり、相手の攻撃に、非常
に動じやすい状態に成っていると言う事でも有る。
試合巧者は、得てして、観働き、反射神経が良い人が多い。つまり、相手の動きに反
応が良い。又、良くなければ勝てない事も事実だ。だが逆に言い換えれば、動じやす
いことに繋がる。絶えず、びくびくしている状態だと言えなくも無い。つまり、絶え
ず、「驚懼疑惑」「四戒」の状態にあると言う事に成りはしないか。
それが、三処避けに繋がっている。気配を感じただけで、小手、面、胴をかばい逃げ
には入る。非情に、ナーバスな状態だから、気配だけで、逃げ、守りに入ってしまう。
相手の動きを完全に見切る事ができるとすれば、確りとした、洞察が出来れば、あの
動作は起こりえない。度胸、胆力が出来ていれば、又構えが崩れるはずも無いはずだ。
そこで、三胆=胆力、が必要になってくる。剣道は、他の競技と一番違うのがここの
所だと熊は考えている。
年老いた、範士が、若い剣士を手玉にとる事が出きるのは、この胆力による、見切り
が出来ているからに他ならない。体力では、若い連中に敵わない。幾ら範士でも、
100M競争では、20代の選手に敵うはずが無い。
私の、剣友にモントリオールのマギール大学で、剣道を指導している、クリスチャ
ン、オ、レンジビル博士がいる。
彼は、若い頃、フエンシングを学んでいて、其の頃は、フェンシングは騎士道精神を
学ぶ手段で有ったらしい。
ところが、勝敗は電気で決まるようになってしまい。それから、スピードと反射神経
だけの戦いになり、精神を学ぶ物とは程遠い競技に堕落してしまったと彼は言う。だ
から彼は今剣道をしているのだと言った。
そして、日本の大剣豪、森寅雄先生が、アメリカにわたり、一年半で、フェンシング
でアメリカのトップに躍り出た。
先生は、フェンシングで、相手は、肉体的能力、反射神経で来るので、こちらは心を
持て遣れば、容易に対処できると言われたらしい。
先生のフェンシングは、サーベルという競技で、日本刀に近い形をしていて、単なる
電気仕掛けで遣る物とは違っていたらしいのだが、相手の選手が切り込んでくるの
を、ギリギリまで引きつけて、ことごとく切り返えされたと聞く。つまり胆力によ
る、見切りが出来た居たわけである。 其処が剣道の醍醐味だと、熊は信ずる。
次回続きはは心栄えについて書きたい。
06/12/13
世界大会、熊が恐れていた事が現実になった。では何故、熊にそれが予言できたか、
それが解っていたか、種明かしをしたい。
大げさに言えば、現在の日本の世の中を反映している全ての事が剣道の世界にも蔓延
してきていると感じるからである。と、煙に巻く様なことは言う積りは無いが、「赤
信号皆で渡れば怖くない」これを許してきたからに他ならない。正しい事と、正しく
ない事、其の判断が、自己の利益(勝利)の為におろそかにされてきた。
一世代前の剣士達には信念とも言える不動の強さがあった。今の剣道には上手さは
有っても強さが伴わなくなくなって来ている。それは駆け引きが最優先されてきてい
るからだと考えるからである。では其の根拠は、「三処避け」である。打たれたく無
いたいが為に、左手を頭上に掲げて、逃げを取るあの姿勢の事である。
三処避けは、逃げの行為、負けの行為なのだ。もっと厳しく言えば、剣道を愚弄して
いる行為。だから、三処避けは、剣道を弱くする最大の原因だと、私は考えている。
ところがこれがいまや当たり前に蔓延している。
あの行為は、良くない行為だと言う事は、良識の有る剣道家なら100も承知のはずで
ある。
だが試合に勝たせるために、其の良くない行為に目を瞑り注意を怠ってきたから剣道
が弱く成って来たに他ならない。
つまり、赤信号を皆で渡る事が横行して、それが悪行で有ることにすら気が付かない
状態になっているからだ。
毎年、何らかの形で、少年剣道や学生剣道のビデオを拝見する。そして其の三処避け
の行為が益々エスカレートして頻繁に行われるようになってきた。最近見た中学生の
全国大会、15チームを検証して、全てのチーム全ての選手が其の行為をしていた。高
校のインターハイのも、大学選手権でも其の行為は当然の如く頻繁に行われている。
全日本ですら、其の行為が当たり前の如く何処にでも見て取れる。昔の選手は、構え
を崩す事は精神の乱れとして、恥じていた。だから、左手の納まりはその人の剣道の
実力を表すとまで言われていた。
左手を臍前に確り納めて、不動の心を養い。竹刀操作で、相手の攻撃を防ぎ、技を返
し、応じてきた。
だから、気を抜かないで、集中力も高め、強さも自然と養えた。逃げなかったからで
ある。
昔の剣士は竹刀を生かす法を学んでいた。だから強さがあった。今は如何か?三処避
けは、技でもなければ竹刀操作でもない、要するに自分が窮地に追い込まれた負け、
辛さを回避する、逃げの行為に他ならない。当然其の瞬間集中力も欠ける。
磐石の精神集中力が養えないそんな剣道が強く成れるとは誰も考えないであろう。
そして、逃げの行為からは、当然捨て身の打突動作がでてくる筈が無い、いや100歩
譲って仮に出せたとしても当然、崩れた姿勢から、本物の気、剣、体の一致した。打
突が生まれるわけが無かろう。 つまり、無駄打ちの多い、弱く成る剣道をしている
ということだ。
心を練り、不動心を養う、其処から生まれる気品、正々堂々と戦う姿勢が昔の剣士に
はあった。だから強さが感じられた。
今は如何か、逃げの行為を織り交ぜながら駆け引きで戦う。それであれば世界の剣道
後進国の剣道と何等変わらないではないか、剣道の理合いを無視して、当てっこの同
じ土俵で、同じ精神レベルで戦う事になれば、当然運動神経だけの戦いになる、そう
すれば、高度の緊迫感をエキサイトに変えて、自らの興奮状態をハッスルする状態に
繋げることの上手い西洋人種が有利なることは明白であった。
今回日本が不覚を喫した背景は、単に選手達や、監督の責任ではない、少年剣道か
ら、彼等を取り囲んできた、剣道界全体の責任で有ると私は考えている。三処避け
を、容認してきた。赤信号皆で渡れば怖くないを、おててつないで、皆で渡ってき
た。悪を容認してきた。そんな姿勢が知らず知らずに剣道を弱くして、正々堂々と戦
えなくなってきた選手。それを育ててきた社会全体、今の日本をそのまま反映してい
るだけに過ぎない。
精神の集中より、小手先の技、逃げの行為を容認してきた、おまけを言えば、中心を
攻めて、気迫で相手を崩し、真っ向から戦う姿勢を忘れ、勝たせるために、小手先
で、フェイント、だまし剣道を教えてきたそんな剣道界全体の責任で有ると私は考え
ている。
若し、ココを読まれている、少年剣道の父兄の方々が居られたら、自分のお子さんの
剣道の試合をビデオで撮っておられるであろうから、スローモーションで、もう一度
注意をしてご覧頂きたい。お子さんが一度でも試合中に左手を頭に掲げる事で、守り、
逃げに入る事があったり、面と見せて小手を打ったり、小手と見せて、面を打ったり、
被き面を打ったり、飛び込み胴等と言う姑息な業で勝ちを取っていないか、検証頂き
たい。若し一度でもそれが見れたら、危険信号の真っ只中に居る事を知るべきです。
そして、勇気を持ち、彼方がたの子供の指導者に進言すべきです。三処避けなど負け
を回避するような卑怯な剣道をさせるなと、強い信念で精神の高尚を図れる正しい剣
道を指導してくれと、言うべきなのです。基本を練り、磐石の強さを身に付けるべき
なのです。 試合数を減らしてでも基本を体にしみ込ませるまで遣るべきなのです。
目先の欲に絡まれて、本道、道を見失わないように、親が気をつけなければ誰が気を
つけるのか。と言いたい。
進学を剣道で考えるより、学業で進学するこれが本道なのです。道を誤らないよう
に、足元を確りと見据えて頂きたい。赤信号を皆で渡っている限り、日本の剣道界の
将来は暗い。一人一人の自覚が大事なのです。
06/12/6
11月の2日に書いた、つぶやきで、今年は雪が多いと予告した。今年は例年に無く晴
れが多かったからだ。
案の定、11月26日の昼から降り始めた雪が、見る見るうちに世界を包み、夕方には平
野部で10〜20CMの積雪を記録した。26日はカナダ西部地区の昇段審査が行われて、7
名の審査委員の一人として出かけた。
其の審査中に世界が白銀の世界と化した。20年前審査会が始まった当初は、審査員も
何が良くて、何が悪いか解らない状態で審査をしていたような処があり、全員合格な
どと言う事態もあったが、最近はそれなりの不合格者が出る。世代も完全に変わっ
た。
カナダはでは3段以上は年に一度しか、審査が無い。本年から2段以下5月と11月を二
度することに成ったのだが、初心者の受験が多い。1級、初段が半数以上を占める。
二段はともかく、三段四段はは、激減する。
しかし今年は5段受験が多かった。
其の五段受験5名の中で二名が合格をした。年齢的に観て若い方が有利。身体の動き
が良い。
確かに合格した若い受験者は、良く叩いていた。叩いていたというのは、其の言葉ど
おり、打突に至る、攻めが無く、ただタイミングでうちを出しているに過ぎない。反
射神経だけで稽古をしている。
其の中でも40歳代の受験者は良く使った。10歳以上の年齢差を感じさせない稽古で、
良い機会を捉えて、確りとしただとつを繰り出していた。形も小さなミスは有るが許
せる範囲と拝察した。
しかし一番若い30代の受験者は、形を知らない。というか完全に間違った形を覚えて
いる。
とても五段を受験をする形とは言えない。間合いが届かない、切る場所、位置が解っ
ていない。
足捌きと手の動きが違う。熊は当然不合格にしたのだが、他の審査員が合格にした。
他の審査員全員がだ。 呆れて物が言えない。
五段といえば、カナダでは道場を持つことが一応許される。という事はこれから彼が
教える生徒は全て間違った方を習う事になる。まあ、他人事なので如何でも良い事な
のだが、将来彼に剣道を習う生徒は不幸だ。
そして其の彼を通した審査員も剣道形を知らないという事を暴露しているわけだ。
私は審査前、全剣連発行の剣道形の本に基づいて審査をして欲しいと頼んでおいた。
にも関わらず審査員は形を知らないという、お粗末を自ら示した事に成る。
06/11/20
今日は熊が心している指導法について書いて見たい。
熊が指導の中で一番大切にしているのは、悪弊の矯正で有る。この指導法は熊が昔指
導員をしていたスキースクールで学んだ事が非情に大きな力と成っている。(CSIA)
カナダ、スキー、インストラクター、アソシエイションの指導法の中に、生徒の滑り
の悪弊を見出し、それを矯正する方法を教える事が指導員試験の中にある。
つまりスキースクールで教える事はスキーの初心者を転ばせる事無く安全に楽しく滑
らせることに重点が置かれているので、滑降姿勢の悪弊はバランスを崩す大きな原因
になり、転倒に繋がるので非常に細かいところまで、滑降姿勢の悪弊を見抜く力が要
求される。つまり見取り稽古の出来、不出来が試験結果を左右するわけである。
それと、生徒の前で滑りの見本デモンストレーションをしなければ成らないので、徹
底的に基本のすべりを遣らされた。つまり基本を形から入り、其の形が完全に固ま
り、自然に力が抜けて、安定して滑れるようになるまで、滑降姿勢の形の微に入り細
に入りまで徹底的に直された。まるでミクロの世界の矯正とでも言えばご理解頂ける
か。これは本当に剣道に似ていた。つまり型から形になる。動かない型から自然の動
きの有る形に移行する。
羽賀の親爺が良く言う事に、「剣道の修行はどれだけ早く悪弊を直せるかに掛かって
いる、修行とは直す事だ」と良く指導を受けた。基本は先ず型から入る。あえて
「型」と言いたい。基本と言う「型」に徹底的にはめ込んで、其の型が固まったら、
少しずつ、型枠を外していく。それが修行のところで言う柔らかさ、脱力の段階に入
る。つまり形に繋がっていくわけである。
なので、初めから柔らかい形(土台)は基本(基礎)と言う土台が確り出来ていないの
で、其の後大きな建築物は建てる事が出来ない。つまり上達が望めないと言うことに
繋がる。だから基礎(基本)という土台を確り固めておく必要が有る。と言うのが熊
流指導法の考え方であり、指導の根源に成っている。
では熊の言う基本とは何を指すのか、「全日本剣道連盟の幼少年指導要項」の中に書
かれている基本である。其の基本の指導の仕方に熊流の考え方が幾らか加味されてい
るが、全体的には完全にそれを頑なに守っている。ただ、一つだけ一箇所だけ熊の考
え方で付け加えて有ることが有る。
それは空間打突、つまり素振りの時に、要項では。振りかぶりをおでこの前まで振り
上げるように成っているが、それを、両腕は完全に大きく頭上まで上げさせて、肩甲
骨を背中で出きる限り寄せ、両肘は耳の横にまで上げさせて、両肘の角度を同じ角度
に曲げさせて、其処から竹刀を振り出させることをさせている。
理由は、肩甲骨を出きるだけ寄せることにより、肩の力を十分に使うことと、肩を柔
らかく使い、肩の力を抜く為に効果が有ると信ずるからである。それと肘を耳の横に
まで挙げて、左右の肘の角度を同じ角度にする事は、竹刀を振り出すときに左右の腕
の力が同じになるようにさせる為であり、左右同じ力が加わらなければ竹刀は真っ直
ぐに振る事が出来ないからである。竹刀で新聞切りを遣ってみればすぐに解るはず
だ。
それだけが、熊流指導法で付け加えている事で、後は全て要項通りに指導をしてい
る。
それもミクロ的正確さを動作に要求しながら手足、姿勢に至るまで指導に心してい
る。
だが最近、他道場の子供達や、日本の子供達の剣道を見ていて、其の指導要項に書か
れている基本が非情におろそかにされている事に驚きを隠せない。だから絶対に基礎
土台が固まらない。つまり子供達の将来が暗い。
剣道、日本刀の創設以来連綿として受け継がれてきた、先人先哲の教えは、命をかけ
た真剣勝負の中から生まれてきた物で、真理が其処に存在する。我々若輩が改革の余
地があろうとは思えない。
だから、皆さんにも少年指導要項の再読をお勧めする。子供を強く育てたい時は、そ
れに徹する事です。
06/11/12
大粒の雨、音を立てて、窓を叩く。風を伴った重たい雨は、容赦なく紅葉を盛りに繁
らせていた木々を半裸にした。車のFMから、JAZZにアレンジされた枯葉が聞こえてき
た。何となく、口を付いて出る歌詞。
The falling leaves drift by the window, the autumn leaves of red and gold,
「枯れた秋の葉が赤や金色に染まり、落ちながら窓を叩く」直訳すれば、何と無く物
悲しい歌詞だ。
I see your lips, the summer kisses, the sunburned hands, I used to hold.
過ぎ去った夏の恋を思い出して、切々と歌う。歌詞は何故か心を打つ。季節がそれを
諸に感じさせてくれる。
日本語の歌詞は初めから凝縮されて書かれているので、歌詞の裏を、詩の行間を感じ
ながら色々情景を思い浮かべる事が出きる。英語の歌詞も、其の受け取り方、解釈の
仕方で、内容が深くなり変わってくる。
ごく最近まで、熊は英語の歌詞は、もっと単純で直接的だと思っていた。内容が単純
だと思っていた。それは単なる私が英語に弱いだけの事で、誤解であった。本当は非
情に中身が濃い、人間の感情をそのままぶつけて見ると、其処には素晴らしい心の
メッセージの世界が広がっていた。
最近惚け防止(?一寸早い気がするが)の為に、というより今更と思うのだが、英語
力を伸ばしてみたいと思い始めたのだが、興味が有る事でなければ長続きしないの
で、それで昔良く聞いた歌の歌詞を紐解いてみる事をしている。それで、歌詞の解釈
の中に直訳だけでは計り知れない、世界の広がりを見つけ出す事で、益々興味が湧い
てくる。
人間の感情。泣く、笑う、怒る、悲しむ、喜ぶ。これ等の感情は言葉を超えて、世界
各国共通だ。
それを、素直な心で受け取り、其の世界に溶け込んでみる。つまり、直心になる事で
見えない世界が見えてくる。まるで、剣道と同じ世界だなと感じてしまった。だから
尚更興味も尽きない。
打ちたいとだけ、思えば、身体が硬直して自由が利かなくなる。勝ちたいとだけ思え
ば相手が見えなくなる。
「ただ打つと思うな身を守れ、自ずから漏れるしずがやの月」この境地ですら、マダ
境地的には低いと思う。
それらを全て超越した心。打とうとも思わず、守ろうとも思わず、戦おうとも思わ
ず、ただ其処に居るだけ。
だが、ただ単に居るだけではない、全ての変化に敏感に反応し、感知しているが、そ
れで居ながらそれに動かされない。動いた時には全てが終わっている。全てが自然
で、全てが自動的で、無作為で、何もしないのに、仕様とも思わないのに、気が付い
てみれば、事が終わっている。そんな剣道がしてみたいと思っている。
恐らく、作詞をした人も、作為的に作った詩であれば、恐らく人の心を打つような詩
は書けなかったのでは無かろうか。詩も書いてみたら自然に出来上がっていた、そん
な詩が一番人の心を打つに違いない。
剣道も、詩も、自分の心に感じたまま、気高く表現できたとき、其処には感動が待っ
ているに違いない。
06/11/02
珍しく晴天に恵まれたハロウインも終わり、11月に入った。入った途端、朝霜が降
り、薄氷が張る寒気。
そしてついに来た、雨の季節。しかし、今年は良く晴れた、年間降雨量が平均的に決
まっているなら、今年は反動で雪が多い事になる、山手ではもう雪の便りが聞けた。
もうすぐSKIが楽しめる。
カルガリーではもう既にマイナス14度をマークしている。今年久しぶりに訪れたロッ
キーは雪だろう。そして、カナダ西部地区の剣道界が賑わいを見せる。シアトル大
会、昇段審査、1月のバンクバー大会、二月のステイブストン大会。おまけに、今年
は12月に世界大会が有る。
新人の子供達の稽古着に付いて心配していたが、稽古着は個人的に購入してもらった
子供達が居て、全員に道具が行き渡った。この子供達が試合に出るように成るには最
低二年は掛かる。道具を確り自分で縛り、稽古をしても、紐が解けなくなり、基本動
作、基本打ちが確り身に付かなければ試合には出さない。
試合も、審査も奨励の手段、目的ではない、目的は剣道を通じて当たり前の事を当た
り前に出きる様にすることが第一段階の目的だからだ。幾ら剣道の試合に勝とうと
も、段級が上がろうとも、当然の事が当然に出来ない子供では剣道を学ばせている意
味が無い。
最近、面白い事があった、有る方の葬儀に出て、久しぶりに剣友に会った。其の剣友
が、今養心館が使っている日本語学校ホールで、先日、日本伝統文化を紹介するイベ
ントがあり、彼のクラブが剣道のデモをした時に、仕様している体育館が非情に綺麗
に様変わりして居る事に驚いたらしい。彼等は毎年そこでデモをしているのだが、今
年其の体育館の床が綺麗に磨かれていた。
つまり今まで誰も床掃除をしていないがために、外履きのまま建物に入る習慣の有る
カナダでは当然床が汚れる。其の床がピカピカに光っていた事に彼は驚いた訳だ。其
の時彼は思ったそうである。「さすが養心館だと」
感心したそうである。熊は稽古前に必ず床掃除をさせる、つまり雑巾がけで有る。
それも全員で遣る、剣道で心を磨くとは言うが、汚い環境で心が磨かれるとは思わな
い。だから先ず自分たちが使わせていただく道場は最低限床だけでも綺麗に磨く。子
供達には足腰の鍛錬にもなり一石二鳥の効果が有る。おまけに、それだけではない、
日本語学校事態が変わりだした、、今まで行事があれば使いぱなしで、後片付けが確
りされていなかった、それを我々メンバーが其の跡片付けを遣り床を掃除して稽古に
入る、それに気づいたのか、学校側も体育館の使用後綺麗に後片付けをするように
成ってきた。
誰も養心館から日本語学校側にモンク言ったわけでもない、アドバイスをしたわけで
もない、彼等が、自らの行動を恥じて改めたわけである。養心館の生徒達の行動が、
良い影響を社会に与えたわけである。
これが剣道ではなかろうか、生徒は道場に入る際にキチット靴をそろえて礼をして入
る、親も自然にそれを見習う。
此方から命令したわけでは無い、遣るように指導した訳でもないが、子供達とともに
最初と最後の礼を体育館に正座をしてをする。子供に礼の精神を教えたいと思い道場
に連れてくる、其の親が礼の心が無ければ子供はどうして礼の心なぞ学ぶ物だろう
か。親も子も同じ気持ちで取り組まなければ子供の教育なぞ出きる物ではない。
昨今の日本における苛めや自殺、互いの思いやりの欠如、スポーツ、ゲームに勝たせ
る事のみ教えて、礼の心、お互いを敬う心を忘れた事に他ならない。学校事態が、入
試合格目的に、勝つ(合格)のみを、考えて国家の法律を破り、世間を欺き、お互い
のフェヤー精神を忘れて教育している現状。当たり前の事が、当たり前に出来なく
なったそんな環境で、まともな人間が育つわけが無い。
06/10/25
昨日の朝風呂に浸かりながら、ある剣道書をを読んでいた。其の中に突きに付いて触
れられる一項があり,北辰一刀流の中に、十八の突き技がある事が記されていた。
それを読みながら、前回の稽古を思い出していた。其の日の稽古は終始、全員で三本
勝負で、相手を変えて戦う方式の稽古をした。アキラが初太刀で、いきなり突きに出
てきて、二太刀目も強引に力任せに突きに出てきた。
其の二太刀とも喉を外れ、熊の首筋に大きな擦り切れ傷を左右に首に残した。痛い思
いをした。朝風呂のお湯が、首筋にシゲキを伴い、記憶をよみがえらせる事に拍車を
掛けた。其の稽古で、外れた突きに熊も未熟、カチンと来たので、思い切り裏から突
き返した。少し顎を上げて面に出てきた、アキラの突垂れの下に入りまともに咽喉を
捕らえて、身長182cm体重80kgのアキラは腰砕けに、すっ飛んだ。
遠間から思い切り面に出てくる出会い頭に此方も思い切り突に出たので、恐らくニ三
日は喉に物が通るまい。
通常、熊はこんな突き方はしない。相手が突れた事が解れば良いので軽く突いてい
る。だが、アキラは若い。
これは一つの教育だと思って心を鬼にして突いた。熊も若い頃何度も何度も経験した
からだ。
彼の稽古はマダ若さに物を言わせ、体力で強引に出てくる事が多い。彼自身も、気合
を入れると、興奮状態になり、力任せに成る所から抜け出せないで居る。気合は入れ
ているが、身体の力は抜け、自由に対処できる。
この状態を作り上げるまでには剣道では長い長い道のりがある。
特に白人系の人々は、この気合を入れる事による、メンタルコントロールが苦手のよ
うだ。殆どの白人系等の人は、気合が入り興奮状態になると、筋肉が硬直して力任せ
になる。アキラも半分は白人なのでそれが出る。
突き、剣道の中でこれほど嫌われる技は無い。中には、突く事自体が不損だという考
え方があるようだが、熊は突きを奨励している。だから若い連中にもどんどん突かせ
ている。それが効をそうしているかどうかは解らないが、白熊がカナダ選手権を取っ
た時、決勝の最後の決まり手が突きだった。アレクスが世界大会出場を決めた技も突
きだった。
確かに突きと言う技は、使い方により感情がモロに出安い、だからこそ、感情を抑
え、冷静に間合いに入り、冷静に突かねば成らない。それが、メンタルコントロール
に繋がり、不動心、平常心の剣道修行に繋がるからだ。
又、突かれる方も、其の恐怖心から逃げ出さないで、泰然自若とした姿勢態度を貫か
ねば成らない。
恐怖心に煽られて、崩れては負けなのだ。崩れていては平常心も不動心も有った物で
はない。
勿論、突れれた熊も冷静さを無くして突き返した訳だから、まだまだ未熟を露呈させ
ている訳だが、遣らなければ、絶対に理解できない、突きからの恐怖心の克服。
こんな小さな技のやり取り、心のやりとりにも剣道修行の、目的があるように思え
る、艱難へ立ち向かう姿勢。
恐怖心から逃げ出さない崩されない強靭な心。そして、突かれた事の痛みで解る、相
手の痛み、相手も生身の人間、突かれれば痛い。特に防具外れは痛い。それらを通し
て、少しずつ少しずつ、理解度が増すにつれて人間形成に役立つのでは無かろうか。
06/10/11
子供の指導していて、感ずる事だが、不器用な子供と、器用な子供が居て、飲み込み
の早い子、そうでない子供が居る。飲み込みの早い子は見る見る上達していくが、有
る程度伸びると伸びが遅くなる。
ところが、不器用な子は、ある時、大化けする瞬間がある。突然ひらめいた様に、ぐ
んと良くなることが有る。
ヤスはどちらかといえば、不器用な部類に入る子供だ。だが、負けず嫌いのところが
あり、身体を掛ける事を厭わない。ヤスも、ユウノスケの場合もそうなのだが、熊の
指導は殆ど彼等に、切り返し、打ち込み、掛かり稽古を中心にしか指導をしない。
彼等はそれを自分から黙々とこなす。誰も、遣れとは命令も強制もしないが、他の者
が地稽古している傍らで、二人で切り返しを黙々とこなしている。ユウノスケは技と
技の間の油断を無くさせる為に、地稽古も含めて稽古をさせるが、ヤスは私のところ
に来る時は殆ど掛かり稽古で終始する。
其のヤス、最近彼の動きが変わってきた。つまり大化した。切り返しの動作が非常に
綺麗に流れるように成り、打突の手足が揃ってきた。この動きが見えてきたら、そ
ろそろ、技の練習に移行させても大丈夫だ。そして、地稽古、相手とのやり取りも
徐々に教えていく。
最近、稽古日の関係で他道場から、移籍してきた、中年剣士が居る。その人が、子供
だと思い、ヤスを相手に
稽古をした。ヤスは駆け引きも、間合いのやり取りもわからない。ただ只管に、打ち
込んでいく。移籍して来た中年剣士は、手も足もでない。余程ショックを受けたの
か、彼は途中で彼は面を脱いで帰っていってしまった。
ヤスはまだ入門して、一年半、15歳に成ったばかりだ。不器用な子供が、努力を続け
る事で、器用な子供の上を行く剣士に育つのを沢山見てきた。
昔の先生方が言われた、剣道は不器用な方が育つと、器用は大成せずと言う事だろう
か。だから、昔の武専も国士舘も、地方で何段を持って入ってきた生徒にも一律に打
ち込み掛かり稽古を数年貸せたと聞く。警視庁でも武専の生徒は基本を練り直す。
それを、真似ているわけではないが、若い身体を掛けられる時に身体で覚えさせる、
基礎を叩き込まなければ成らないと考えて、実行させている。
ヤスにはマダ、試合でビュウはさせない。11月に有る1級審査が、彼に取り始めての
対外道場の対戦に成る。
級も段も慌てさせる事は無い、実力さえ養っておけば、段は付いてくる。恐らく試合
結果もついて来ることだろう。熊は、其の地力、本当の実力を付けてやるのが指導だ
と考えている。
06/10/05
長い間、自宅のパソコンが何故だかインタネットに繋がらない状態が続いた。
此処バンクバーでは時々そんなことが起きる。電話会社が唯一つで独占企業の状態が、そ
れに、拍車を掛けているのかもしれないが、回線が混み出すと、それが起きるらしい。
住民ものんびりしていて、あまりクレームをいわないのか、回線を増やす作業より、利用者の
増加が激しいのか、とにかく、使えたものが使えなくなると、不便を感じてしまう。
何しろバンクーバー周辺の人口増加率は、此処二十年間で50万人増えて200万人を超えた。
カナダ全体で人口3300万人日本の国土の20倍の土地に散らばって住んでいるわけだから、
一都市の増加率としては、急激に増加していることが分かる。とにかく世界一すみやすい都
市として格付けされているのだから、仕方が無いと言えばいいのか、自由の国だから、誰で
もが移住して住める事は素晴らしいことには違いない。
特にアジア系の人間が増えて、バンクバーの1/3は東洋系の住人で占領されている。
イギリス系の伝統を誇る、ブリテイッシュコロンビア州の最大都市が1/3が東洋系と言うのも
皮肉なものだが、香港がイギリスの植民地として長い歴史に終止符を打ち、その時に移住
を加速させたのだから、自業自得と言えない事も無い。
さて、熊如きが社会問題に触れてもしょうがない。大体それを語るほど教養が有る訳ではな
い。とにかく、一時的にでは有るが、パソコンが使えるので書き込みをした。
最近手元に届いた、剣道日本、面打ちについての特集が組まれていた。其処での記事で以
前から熊が非常に気になっていたことに触れられて書かれていた。現場日本での指導者も
気付いていながら、最早手の打ち様が無い程、剣道が崩れだし事をを垣間見た気がした。
かの有名選手を沢山輩出している、PL学園の指導者の川上氏が中学生に抱えている悩み
や、危惧である。試合試合で戦々恐々と戦ってきた中学生が、姿勢を崩してでも有効打突を
奪おうとするあまり、正しい基本が身に付かないという事を嘆いておられる。
高校で、生徒を教える立場に有る川上先生にして見れば、忸怩たる思いであろう。
正しい基本が身に付かない生徒が将来伸びることは先ず考えられない。一度捻じ曲がった
盆栽は、大地に再度根を下ろしても真っ直ぐな大木には育たないのだ。それが分かるだけに、
偉大な指導者、川上氏は、それを痛いほど経験しているに違いない。
子供の内に勝つ事の目的に、相手を騙し、姿勢を崩し、卑怯な戦い方を身に着けて、将来
偉大な剣道家が育つわけが無い。三つ子の魂100までもと言う諺が有る。剣道の理念を掲げ
られた小川忠太郎先生が、子供は13歳頃までに、正しい人間としての心を身に着けさせなけ
れば、物には成らないと、喝破された。その一番大事な頃に、騙し合や誤魔化し合いで育つ。
その環境、同じ環境の中で皆が同じ方向を向いていれば、その悪影響にも気付かないのか
末恐ろしいと危惧するのは平和ボケしたような、カナダに住んでいるからだろうか。勝つ為に
は悪を平気で遣らせる、その悪を許さず、させないのが剣道教育だと思っているのだが・・・・
インタネが一日二日繋がらなくても、我慢が出来る。年三回の試合だけでも十分に剣道が
出来る。そこで育つ子供の方が、自ら苦しい稽古に励み、厳しい稽古にも自分から取り組む。
本当に剣道が好きなのだから世の中面白い。
06/09/16
今年の夏は長い長い夏だった。六月に入り殆ど降雨量が無いと言う異常現象で、九月
半ばにきてやっと急激に気温が下がり始め、曇りの日が続いている。だがまだ本格的
な雨には至らない。ぱらつく程度の小雨が時々道をぬらす。
今年はマツタケが沢山出るような気がする、暑い夏が続いたからだ。今降る雨がマツ
タケを育てるのだと聞く。
又今年が4年に一度起きる、鮭が大量に川を遡る年に当たる。それを見るための特別
に組まれた観光があるくらいだ。
昨日、久しぶりに公園を歩いた。雨上がりの公園は、草木の匂いが一段と強い香を放
つ。
寒さが急に訪れた為か、道端に餌を求めてリスが沢山出てきて、餌をねだる。彼等は
自然を肌で感じて冬篭りの準備に入るのだろうが、ここの公園では人が餌付けをして
いるので、リスが丸々と太っている。
水辺に居る鴨も、カナダグースもカモメも、人を見ても逃げない。どうかすれば鴨が
人間の後から付いてくる。餌が貰えると期待しているのだ。街中にある公園で、自然
の中に暮らす動物達も人間の力に頼って生きていく。
これが良いのか、悪いのか、人間も野生動物も順応性があるので、何とも言えない。
都会のカラスが其の典型だ。ゴミ箱を荒らすカラスは完全に都会に順応していると言
わざるを得ない。
ただここは東京と異なり、DTの街中にはカラスは見ない。スカンクとアライグマは
見たことがあるが、カラスはそれほど見かけない。まだ自然環境の中で餌が十分に取
れるからだろうか。
さて剣道だが、剣道も其の環境により、子供達の取り組む姿勢が変わってくる。先日
来、血圧を低くする為に、稽古を一日増やした。他道場に出稽古に出かけている。単
に汗を掻くだけの為なのだが、同じ一時間での元立ちでも、汗を掻く量が全然違う。
養心館では、1時間で稽古着が絞れば水が出るくらいに稽古着が濡れる。
だが、先週行った道場でも、昨日でかけた道場でも、自分からどんどん攻めて出ては
いるのだがそれ程汗は出ない。何故か不完全燃焼で稽古が終わる。其の違いは何か、
養心館では、稽古を続けている若者が多い。
他道場では、その数が少ない。皆かなり使えるようになると止めていく。殆どが初心
者でいい所初、ニ段クラス
の生徒達だからだ。
それと一つ大きな違いはやはり攻めがあるか無いかの違いだ。ただ打ち込んでくるだ
けでは、緊張感が違う
攻めがある剣道では此方も気が抜けない。だから緊張感を持続させて立ち会わなけれ
ば成らない。当然結果として汗の量が違ってくると言う事だ。
野生動物では無いが、やはり剣道も環境が大事なのだと感じた。ぬるま湯の中での稽
古と、灼熱の中での稽古、どちらを求めて行くかは其の本人次第だが、どうせ遣るの
であれば、身も心も削ぎ落とせるくらいに、稽古が出来ればと感じている。
06/09/09
秋、日が短くなり、街路樹は紅葉し始めた。
最近熊の手元に剣道日本が届いた、親爺の元気な姿が見れた。後進のために今残さな
ければ成らない話を沢山紹介されていた。何よりも元気で仕事をしていてくれる事に
感謝したい。
昔々の話だが、ある先生が、カナダに来た時に、剣道にプロは居ないと言われた事が
ある。
其の話を親爺にしたら、「それは彼が自覚が足らないからだ、私は剣道の専門家だし
プロだと自覚している」と言われた。
剣道日本の記事を読みながら、成るほどと思った。昔親爺から聞いていた色々な話も
重複しながら、思い出していた。今回記事にはならなかったが、こんな話も有った。
これは、熊が今、親爺の次に信奉している、SH範士と親爺との某講習会でささやか
れた会話である。
S「羽賀先生、最近の剣道家は昔のように強い人が出なく成った。そう思いません
か?」
(それはそうでしょう、現在は試合試合で、勝つ事だけを教えている。其の為に小手
先は器用に上手くはなっているかも知れんが、剣道の本質を学んでいない、だから強
い剣道家が出るはずが無い)
S「昔私が若い頃、お兄様の羽賀準一先生にお稽古をお願いした事が在り、私がこの
大きな体で体当たりして行ったのですが、こけたのは私で、稽古でも殺されるかと思
うほどの厳しい物でした。強い先生で前に立つのに恐怖感有りました。精魂が尽き果
てるまでやらされた、」
(まあ、兄貴は乱暴な稽古で人からも嫌われもしたが、今と違い、命がけの稽古で積
み上げた物が現在とは比較にならないだろうからね。昔の先生方は草葉の陰で現在の
剣道を如何思われるか・・・・)
「最近は剣道が完全にスポーツ化して、子供の頃から当てっこばかり教えていて、ス
ピード重視で、理合いも何もあった物ではない。逸れに、最近は女性が剣道をするよ
うになり、尚更剣道が軟弱に成った。」
(マア、時代だから、女性の進出は仕方が無いとしても、それで、打つのも、怪我の
させないように、あざの出来ないように、そっと、打たなくてはいけませんからね。
昔のように、突きの稽古には、突き垂れを外して稽古など出来ません)
「だから、刺し面や当てっこになってしまった。我々が口をすっぱくして、言ってで
も、もう歯止めが利かない、剣道はこの先如何成っていくのやら」
(彼方もそうだが、私は、海外で剣道を指導することも多い、で感じる事は、彼等の
熱心さ、厳しい稽古に耐えられる体力。気力。今はまだ、海外で剣道をやる人間の殆
どが中年稽古だから、体の動きもイマイチだが、其のうちに彼等の子供や其の友人達
が始めるようになれば、体力的に勝り、気力にも勝る彼等に何時かは追い越されてし
まう時代が来るでしょうね)
「そうでしょうね。本当の日本伝剣道を残したいと考えるのであれば、今、方向転換
をやらないと、間に合わなくなる。剣道を良くしようと、試合規則を直し、手を入れ
ても、次から次、其の規則の網目を縫う様に、悪い駆け引きが出てくる。まるでいた
ちごっこ。最早剣道を何の目的で遣るのかが、見失われてしまっていますね」
(昔は選手宣誓にも、正々堂々と戦う事を誓います、と言う言葉が言われていたが、
最近は聞かないからね。
如何にごまかして、騙して、勝つか、それに戦々恐々としている。だから、大学生の
試合に引き分けの多いこと多いこと、初めが掛かれば、三所避けで鍔迫り合いから試
合が始まる。笑。)
「それでも勝ちは勝ちとして、認めるから、剣道が段々可笑しくなる。最早剣道はス
ポーツで武道ではないですね。」
(残念だがそうだろうね、逆に海外から、本物の剣道が逆輸入される時代が来るかも
知れない。)
「そうですね、世界大会でも日本が負ける日もそう遠くは無いでしょうね」
この話は、今から約10年くらい前に、ささやかれた話です。それが現実化してきてい
る。日本伝剣道が崩壊寸前、いやもう消え去ってしまったかも知れない。
06/09/01
一月ぶりにつぶやく。剣客と、留学予定者が帰国した後、たまりに溜まっていた仕事
と、折良く新しいプロジェクトが本格的に動き出し、新着もつぶやきも、書けないで
いた。
本来、剣客シーリーズはもっと書きたい事も、書かねばならないことも沢山あったの
だが、神経を尖らせて読んでいる人々が居るらしいので、書かない事にした。「知る
は一時の恥、知らぬはい一生の恥」という格言があるが、別に恨まれるだけの事な
ら、書かずに居たほうが賢明と判断したからだ。正直すぎると人を傷つけるらしい。
マア、そんな事情も手助けして、書く気分がそがれていた。しかし、ここを覘く方々
は、剣客関係だけではない。
剣道を心から愛し、剣道を真剣に学ぼうとする方々が、連絡してきた。「如何したの
かと?」別に、特別の事情が有るわけではないので、ここらで、重い腰を上げなけれ
ば成らない。
さて、養心館、親爺にねだっていた、面したの、手ぬぐいが出来上がってきた。親爺
が、「精魂込めて書いた」と言うだけ有って、素晴らしい出来栄えだ。今まで多くの
親爺の書を見てきたが、恐らくこれは最高の部類に入る物だと思う。
これを書くに当たって、親爺はいくつかの言葉を用意して、熊に問い合わせてきた。
其の中から、熊は「花不忘」の言葉を選んで、頼んでおいた、本年京都大会の後、五
月のことである。意味合いは、花は普通枯れる、それを枯れさせない、永遠の花を咲
かせ続ける努力が、剣道の修行なのだと聞いたからだ。
昨今の試合、一時は勝って有名になり、後でどこかに消えてしまった人がどれだけ多
いか。花は枯れる。だが、稽古で培った本物の力は死ぬまで枯れないで咲き続ける。
其の背景が解るだけに、好きな言葉の一つとして心に残っていたからだ。
処が、中々待っても連絡が無い、其のうち、親爺の地元の直弟子の先生から、メール
をもらった。何か不都合が在ったのかと、心配してきた。親爺が何か深刻に悩んでい
るのだと聞いたので、早速電話を入れた。
それは何のことは無い、親爺が書きたい言葉が他に出てきたらしい。不思議と言えば
不思議、今まで養心館の手ぬぐいは一度も作られた事が無い。親爺も他人に頼まれた
り、何かの記念には良く書いてきたらしい。
で、思い当たると、自分の道場の為の書は道場の看板以外書いたことが無い。そこで、
これは一生を掛けた集大成としての書を残したいと考えたらしい。
そこで、言葉を選び、将来に残すべく覚悟を決めて、書く決心をされたようだ、其処
には千葉周作が良く教えに使った言葉が有った。それを書き残したいと、悩まれてい
た。熊は、勿論異存が有るわけでなく、先生が書きたい言葉を、お書きくださいと、
お願いをした。
そして、荷物が、八月の中旬にやっと送られてきた。中を開けて驚いた、今まで見た
ことも無い書体で、「剣は瞬息心気力一致」と墨痕鮮やかに書かれていた。
字が躍動して活きているようだ。即、感謝の電話を入れた。
そしたら、一言「今回は精魂込めて書いた」と言われた。だろう事は、容易に想像が
付いた。書体の力が違う。そして、直筆の説明書きと、それを活字体で印刷された物
がビニールの袋の中に手ぬぐいと入っていた。
後日、請求書と共に、「良く生きた 残りの人生、ロスタイム、清く楽しく、日々を
送らん」等と、まるで辞世の句とも思える手紙が入っていたので、代金を送金した連
絡とあわせて、親爺に発破を掛けた。「まだまだ、後進を導くための仕事がある、の
んびり何かしてられんぞ、剣道の歌、200首まで書き残せ」と、弁えもせず、親爺を
叱ってやった。
そしたら、帰ってきた言葉が良い。「アア、今、書き足しているところだ」との事。
そして、あの手ぬぐい、自分も気に入ったので、自分の手元に80本、逸れに又
100本追加したのだと言う事だ。何処に送るのか、誰に贈呈するのかは、知らない
が、為 養心館と書かれている手ぬぐいは、この他には無い。
89歳の現在、腰の曲がりはいかんともしがたいが、体の調子も良いらしい。精精長
生きして欲しいと願う。
06/08/05
酸素不足症候群。又の名を、酸欠症候群的剣道。これは熊の造語だ。
コレを感ずるようになって久しい。恐らく15年くらいでは無かろうか。
以前、20年位前に成るが、中○大学剣道部主将が、卒業後アメリカ、シアトルに留学
して居た事がある。
彼と稽古して感じたのが始めである。其の頃はそれが何処から来る物なのか。一体
何故そのような稽古になるのかが、解らないでいた。単なる彼の剣風なのだと思って
いた。
その後。沢山の日本の大学、高校の剣道部、関東学連の生徒や、特にインターハイ
や、インカレなどに出ていたような、実力選手に其の傾向が顕著にでている事に気が
付き、其の原因を考えるようになった。
其の兆候というのは、稽古中、彼らが打突動作に出てくる時は、物凄いパワー集中力
攻撃力を感じるのだが、打突直後の、本当の意味での残心や構えているときの集中力
というか、気の張りに、物凄いギャップが有るのだ。
打ってくる時はいいが、守勢に回りだしたら非常にもろい、それが何処から来る物な
のか色々考えをめぐらして、得た結論が、日本の掛かり稽古や、延々とヤル、無駄
な激しすぎる、稽古に原因があるのでは無いだろうかという疑問に駆られた。
其の顕著な例が、あの諸悪の根源のように言われている、三所避けに表れている気が
してならない。
昔はあのような動作は出ていなかった。いや20年前は無かった動作である。その事に
ついては後で繋がりを説明するが、熊の考察を述べてみる。
剣道では確かに激しい掛かり稽古や、打ち込み、は大切な練習方法であることは、剣
道歴史の中からでも大いに、上達効果が望める稽古方として、重要視されてきた。熊
自信も其の効果大なる事は認めて自らの稽古にも取り入れている。
問題は其の遣り方に原因が在るのではと疑うように成ったのは、ここ14〜5年の事で
ある。激しい掛かり稽古やると当然呼吸が荒くなる。これは激しい運動により、体内
に廻る血液中の酸素が不足するために、その補給を体が自動的に行おうとするから、
呼吸の回数が早くなるのだ。
処が、それを延々とやる事により、脳内に達する血液中の酸素も不足してくる為に、
脳内での思考能力が衰えて、集中力が落ちてくる、それが繰り返し繰り返し、行われ
る事により、脳細胞が、条件反射をプログラムして掛待一致の。掛かる時と、対峙時
の気の集中力に、各断層を作り上げてしまうのだと考える。
掛かり稽古の最初は体内酸素が十分にあるので、集中力、攻撃力もある。が、その
攻撃が一旦中断すると、体が、新たな酸素補給にまで時間がかかり、その間
集中力と
攻撃力が、落ちる事になるのではなかろうか、だから、ちょうどその状態の
時に相手
が仕掛けてきたら、三所避けに逃げてしまう。繰り返し行われたことによる、
脳内に出来た、
条件反射が体に命令をしてしまうのでは無かろうか。
本来本当の気の充実と、集中力が有れば、相手が出て来たときが相手を捕らえる最大の
機会になるはづである。出鼻、出頭も打てるはづだし、応じ、返しも出来るはづである。
三所避けに逃げなくても良いはづである。
掛かり稽古の間違った稽古法が、気の集中力の格差を生んだ気がしてならない。
掛かり稽古は激しく短く、又息を整えて、又短く激しく行いそれを繰り返せば良い。
ただ、根性、根性と無駄に思考能力が落ちるような掛かり稽古は百害有りて、一利なし。
今はそう考えて居る。昔小川忠太郎先生が言われた、「根性とは、仏法の言うところの一番位の
低い精神状態である。根性を鍛える等という、愚かな事は考えぬ方が良い」と言われた。
「それよりも楽しい、無邪気に遊ぶ赤子の如く、極端に言えば、真剣勝負を楽しんで、出切る奴が
一番に強いのだ。」と言われた言葉が耳に残っている。
06/07/24
暑い、ここに来て気温が狂ったように上昇している。熊がカナダに移住して以来、バ
ンクーバーで経験した温度では多分新記録だと思う。38度。蒸し暑くないので救われ
るが、東と南に面した熊の住居では、朝日からガンガンと照射が始まり、壁一杯にあ
る大きな窓から太陽光線が遠慮なく降り注ぐ。
北国なので、窓の開閉部分が小さく作られていて、風が全然入らない上に、おまけに
外も無風状態。
おまけに部屋には、エアコン等と言った気の利いたものも無い。事実今までそんなも
のの必要に迫られる事が無かった。だが夜になっても、一向に部屋に溜まった熱気温
は何処にも出て行かないのだ。
今、日本では各地で豪雨の被害が報告されている。地球上に何か異変が起きていると
感じるのは熊の感覚がが野生だからだろうか。地球温暖化が叫ばれて久しいのだが、
京都議定書に反対をしているアメリカ、そして経済発展国途上国が自分達の金儲けと
引き換えに、この掛け替えの無い地球を崩壊へと導いている。
そして、又この暑さに耐えかねる温暖化阻止賛成の国々の人々が、エアコンを回しだ
せば其の分地球の温度を上昇させていくのだ、まるでいたちごっこだが、仮に誰か
が、我慢をして、逸れに耐えたとして、果たしてどれだけの効果が期待できるのか疑
問だが、一人一人が真剣に取り組まなければ、近い将来必ず地球は崩壊する。
人間は便利さと、快適さと引き換えに一番掛買いの無い代償を払わされている事に気
づかない。哀れで、愚かなものだと思う。店に何時も来る30代後半のご婦人が居る、
彼女は絶対にゴミになるビニール袋を嫌い、自分の手提げかごを持参で来る。その人
の表情が取ってもステキだ。やはり人間性が表情に表れているのだと思う。
たしか熊の子供の頃は買い物籠を持って買出しに行ったものだ。魚屋では古新聞に魚
を包み、八百屋ではそのまま篭に果物を入れてきた。経済の発達が、人間を鈍らにし
て、ビニール袋で買い物をするのが当たり前に成ってしまった。そしてこのビニール
をゴミ廃棄で燃やすとすれば莫大な費用、燃料が掛かる。イヤハヤ。
今日、少しの時間を見つけて、木陰で本を読んだ。普通は、木陰は肌寒く感じるのだ
が、今日は肌寒さは感じない。27年前万年雪を湛えていた、ライオンズ山は夏場に白
い岩肌見せる様になってしまい風情が消えた。
この温暖化で傷ついた地球は、もう後戻りができないのだろうか。
06/07/19
7月18日朝、バンクーバー港に日本丸が入港した。 帆船の優雅な船影を岸壁に接岸し、
船長に花束が贈呈された。五歳の熊孫が其の大役を果たした。 晴れ渡った青空に、
高くそびえるマストに朝日が反射して、白い船体が輝いて見える。
朝の一番忙しい時間帯を、仕事を抜けて、見に行った。(爺バカダね)この朝、
素晴 らしい感動に 包まれて一日が始まった。 夕方からは、船上パーテイーが開かれ、
熊も其の招待客の一人として、招かれていた。 と言うのは、航海実習生との
剣道交流と言う行事があり、其の打ち合わせも兼ねての招待である。
ここには日本国領事や地元の名士、が沢山招待されている。それで、実習生の中には
有段者もいると言う事で、話し合いに入ろうとした瞬間に、熊の携帯が鳴った。
事の顛末は熊の心が汚れるから、書かない。結局稽古会は出来なくなった。
それを楽しみにしていた連中も居るので、「恐れをなして道場破りを棄権した」
とでも言うしか無かろう。苦笑
さて、今日は心と題して、書いてみたい。これはあくまで熊が信奉する方の教えなの
で、受け売りである。
人間の心は其の時々の環境に影響され易い。汚いところに住めば心も汚くなる。綺麗
なところに住めば、心も綺麗になる。そのことを考えれば、自分の周りに自分の心を
毒する要素が無いか、気を配る必要がある。
それと、自分の心は意外と自分の思う様にはならない。だから、昔の禅の坊様が、
「心こそ、心迷わす、心なり、心に心、心許すな」と言っている。
だから、自分の周りの環境に熊の心を毒する、害悪を近づけない努力をして来た。
ところが最近、養心館のサイトを作り、人との交流が増えてきた。交流が増えれば、
当然違った物の考え方にも出会う。それはそれで、いい勉強になるから、結構な事だ
と考えている。
ところが、どうかすると、くどき、嘆き、人の非難、と言うか悪口に出くわす事が良
くある。それを読んだ瞬間、自分の心を汚されている事に、ハット気づく事がある。
熊の其の信奉する方は、そんな時、自己暗示と呼吸法で、乱れた心を正常に取り戻せ
と説いて居られる。
それと、心が乱れるから、ストレスが溜まるのだと、ストレスが、病魔を運ぶ最大の
トラックなのだそうだ。で、自分の周りのサイトに熊の心を汚す要因のある文面に
は、書き込みをしない事にした。書き込むことにより、其の文面が余波になり心の中
に生き続けるからである。
人の悪口を口にすれば、其の分血液が酸化して行く。嘆き悲しめば、血は黒くなるの
だそうだ。
腹を立てると、血液中の毒素が増えて血が苦くなるのだそうである。要するの猛毒を
作りだして居ると言うことだろうと思う。だから、自分の心を正常に清浄に保つ為
に、苛立ちの中には参加(酸化)しない事に決めた。
人のサイトは読む、眼を通す。勉強になることが在るからだ。だが、心を汚す文が目
に入れば自分の心の中から其の文字列をすぐ消し去る事にした。一度傷付いた心は、
中々回復しない。
だから心は汚さないように、汚されないように勤めなければならない。
06/07/12
最近、嬉しい報告が舞い込んでくる。日本に(警視庁に)武者修行に出したユウノス
ケの母、千里さんからである。警視庁も、全国警察官大会の期間中で、本部道場が
てんてこ舞いで、ユウノスケは自宅の近くの浅草署で稽古をするようになった。マ
ア、表看板、剣道は初段なので、まさか、本部の稽古は無理との、親心で、○川先生が、
浅草署を進めてくれたのだと、思うのだが彼は熱心に稽古に通ったらしい。其の顛末が
送られてくる。
千里さんには断りを入れてないが、ここに来る館員にユウノスケが元気で稽古をし
ている報告として、彼女のメールを記載する事にする。
@ 「そちらの皆様 如何お過ごしでしょうか?
今日 ユウノスケと 新木場で行われた警視庁剣道大会の応援に行ってまいりまし
た。今日から3日間にわたり 200チーム以上が参加する大きな大会です。
ユウノスケがお世話になった浅草署は一回戦で深川署とあたり 敗けてしまいまし
た。大会が終わると稽古量が少なくなるとのことでしたので、
それで このまま稽古が出来ないのでは困ると思い、今日の大会後に西川先生にご挨
拶がてら 今後の事を率直に伺いました。 其の時ちょうど 自転車に乗った梯先生
が出ていらしたので、 西川先生が我々を引き合わせてくださいました。
梯先生が「朝岡先生とは昔から親しい仲だから 任せなさい。」と 言ってください
ましたし、 西川先生が 「彼はまだ初段ですが3段の力があるそうですから・・
・。」と 付け加えてくださいました。
工藤先生が ユウノスケの剣道を見て 西川先生に どの程度の実力があるかを お
話くださったのです。
結局20日から 新木場の稽古に出ても良い お許しを頂きました。( 14日まで
は 今回の署の大会があり 其の後 18日19日は代表選手の方々の試合があるよ
うですので、 20日からになるそうです。)
20日からですと 残り15日間だけになってしまいますが なんとか その3週間
の稽古を 一生懸命がんばりたいとユウノスケは言っておりますし、 やっと 新木
場の稽古に参加させてもらえるんだねと ワクワクしています。
取り合えず、20日までは 一人でも 浅草署の朝稽古に 行くと言っております。
また 今後の様子など お知らせいたします。
養心館の皆様に くれぐれも よろしく お伝えくださいませ。
ちさと」
A「朝岡先生
メールを ありがとうございます。
新木場での稽古は 浅草署のそれとは かなり違うものだろうとは覚悟をしておりま
すが、それでも どこまで厳しいものなのかは 計り知れないので、 楽しみなよう
な 不安なような・・・。
ただ 本人は あのような性格なので 多少の不安だけで あとは ワクワク楽しみ
だと申します。 多分 ユウノスケには 全てが初めてで 何処までが普通で 何処
までが特に厳しいものという概念がないのだと思います。 知らないという事はあの
子にとって武器だと思いました。
浅草署の稽古も (もちろん 新木場とは違うと思いますが) 「きついけど でも
すごく 楽しい。」と 真っ赤に茹でダコ状態で帰宅してぼ〜〜としながらも い
つも 言っておりました。
このような経験をさせていただける自分がとても ラッキーだと自覚していますし、
何よりも 「朝岡先生から自分は指導を受けているんだ。」という 強い自負が彼を
支えております。
先生が 「潰れた時は 潰れた時。 それだけの実力だったと諦めなさい。 そんな
ことじゃあ、 世界は狙えない。」と おっしゃった言葉。 まさに 其の通りだと
思っておりますので、 彼が 何処まで出来るか やり通せるか 未知ですが 素直
に この環境を 愉しませていただこうと 私は 思っております。
ユウノスケは いつも 言います。 「朝岡先生 すごいよ。みんなが 驚いてくれ
るのも (初段の剣道ではないと) 先生から 教わっているからだよねと。
20日以降の報告を お待ちください。
ありがとうございます。
千里 」
生徒が真剣に付いて来る、だからこちらも真剣の面倒を見る。それが信頼の構築となり、真の師弟関係が生まれる。
嬉しい話ではありませんか。
06/07/07
7月7日、日本では七夕だが、何でこの雨の多い梅雨明けやらぬ、7月7日なのか、子供の頃から7月7日に晴れた日が何日あったか。
まあ、旧暦の時代に決めたことだろうから、旧暦ではよい天気の良い時節なのかも知れないが、現代暦では、
織姫も牽牛も一年に一度の逢瀬もママならないと言う事か。
大昔、何等連絡網がない時代。織姫と牽牛の恋は、一年一度だけの、のんびりした時間経過の中で育まれた
それが何と無く、ほのぼのとした、優しさのあふれる素晴らしい、恋物語に成っているような気がする。
今なら、携帯でもインタネでも在るから、単身赴任的な牽牛は、毎日恋を語り、
其の 素晴らしい優しい恋物語には、発展しえないと思うのは熊だけの妄想か?
現代、情報があふれすぎるくらいあふれ出し、其の情報も正悪混同で伝えられる。
そして通信情報の伝達技術は驚異的に発達して、逆に不便?に成った。何故?
携帯電話なるものが、情報伝達手段として、人間のある一面便利にしたとは思うが、其の反面、
逆に、ストレスを生む結果にも繋がっている。何でも無い時、通じる物が、いざ通じない事態が起きた時、
其の通じない現象が、人間の心に不安と言う形で押し迫ってくる。
昔、田舎から、子供を大学や就職で都会に出す時、親は、どんな思い出子供を送り出したのであろうか。
かなり、腹の出来た親達では無かったのか。わが子に自信と敬愛の念が溢れていたのだと思う。
そして、親も、子も、便りの無いのは元気な証拠と。安穏としていた物だ。手紙を認めても、
手元に届くまで1週間は掛かった。それでも人間何らわが子の心配はしないでいたに違いない。
それが今は携帯ですぐ繋がる。しかし、それが繋がらない時、親は急に不安に刈られてしまう。
何か在ったのではと、、便りの無いのは元気な証拠とは行かなくなってしまっている。愚かなことだが、不便。
時代が、段々人間にストレスを与えて、便利さと裏腹に不便さを蔓延させている。おかしな事だと思う。
熊は、昔人間なのか、野生動物としては当然至極で、カナダと言う地で、最近はのんびりと暮らしている。
そう言う眼で見ていると、情報に追い回され、不安を掻き煽られ、疑心暗鬼の中で暮らさねば成らない人々は、逆に不幸に見えてくる。
06/07/01
6月30日金曜日、バンクーバーのジャズフェスも毎日快晴に恵まれ、佳境に入った。
今、丁度店の方もバアベキュー商品売り出し中、天候のお陰で、大忙し、嬉しい悲鳴を上げている。
今夜は、コンボ(少人数編成)のスイングジャズを聴きに出かける。偶然手に入れた、招待状がある。
プレーヤーは、花岡詠二クインテット、ドラマーは何と熊の後輩富山の高岡出身。若手売り出し中の竹内武。
音は聞いて見なければ解らないが、楽しい時間を持てることだけが間違いないだろう。
場所は何と、日本語学校ホール。養心館が日頃稽古をさせて頂いている道場。其の関係で招待券が来た。
道場は、通常多目的に使われているので、皆が土足で出入りする。そのために、我々は稽古前、
道場を雑巾がけして清掃をするのだが、稽古を終えて足の裏を見ると、真っ黒毛に成っている。
名人は足の裏が汚れない。と聞いていたので、熊は名人には程遠いという事だと、変なところで認識した。
(認識しなくても当たり前)ただ、海外で剣道をするということはそれだけ苦労がつき物と言う事だ。
ただ、コレも考えようでは、剣道の古いしきたりを残す事にもなる。
熊たちが子供の頃は道場は雑巾掛けしてから稽古をした。
心を磨く道場はピカピカにしておかなければならないと、先生に諭された。
今は何処の道場でもモップ掛けで掃除をしているのでは無かろうか。勿論、養心館でも、モップがけで、
ゴミを集めて取り、其の上で雑巾がけをしている。子供達は、眼をきょろきょろさせて驚く。
入門一日目が掃除から始まるからだ。家でも学校でも雑巾掛け掃除などしたことが無いだろう。
靴を揃え、道場に礼をして入り、掃除をする。それから初めて竹刀を手にする。意外とおろそかのされている、
事が、カナダで出来る事は逆に嬉しいことなのだ。外国では無い、紐を結ぶ文化や心を磨く為に道場を掃除する。
外人?達も何故か納得して雑巾がけをする。彼らは、トレーニングくらいにしか思っていないかも知れない。
それはそれで良いのだ。何も無理やり、こじつけの、理由などつけなくても良い。目的が遂行されていれば良いとしよう。
それくらい鷹揚に構えていないと海外での剣道普及は難しいのかも知れない。
06/06/26
又。悲しい話を眼にした。剣道二段の高校生が、継母と幼い兄弟を家に火をつけて殺害した。
エリートの父、エリートの義母、勉強勉強が、引き金に成ったようだ。
今の日本なんでこんなに子育てが下手に成ったのか?16歳で、剣道二段なら、かな
りの稽古をして来たはずだ。其の子の通っていた道場では何を指導されてきていたの
か、親は何を教育してきたのか、疑問を持たざるを得ない。
子供との対話ではなく、恐らく、一方的に叱責だけの、教育方針が摩擦を生み、子供
の心に救いがたい、不安と、不満がが満ち溢れた結果、こうなったと考えざるを得な
い。是も一種の燃えつきなのだ。
もって行き場の無い心、ただ無意味に強制的にやらされる、勉強、剣道、其の子供に
は其処から何等価値を見出せない、重圧に耐えかねて、プツリと心の糸が切れてしまった。
熊は以前から、日本の剣道会、子育て、教育に警報を鳴らしてきた。
勿論、熊がこんなところで、どれだけ吼えたところで、如何にでも成る物ではないのだが・・・・・
熊は、1年だけ教育現場の裏を覗いた。代用教員で講師として、高校で剣道を教えた。
其の時に正直、こんな人達に自分の子供の教育を任せられないと、正直感じた。勿論
中には心の熱い先生も居た。だが、当時、日教組から出る指示や方針、眼を覆いたく
なるような、ことばかりだった。
自慢ではないが、高々、1年間の講師であったが、剣道無名高校を県下で優勝にまで引き上げた。
生徒と共に学び、汗を掻き、共に泣いて、共に笑った。そして、お前達は良くやった、
良いところは倍に褒め、叱る時は、言葉を選び諭した。
其の時の生徒の子供までが、今熊の家に居る。たった1年間の教育が其処までの信頼関係を生んでいる。
熊は自分の子供は10歳までは有無を言わさず、悪い事をした瞬間手を掛けた。悪いは、悪い。
理屈など無い。いい事は褒めた。是も理由など無い。いいものは良い。しかし、10歳を超えてから、
一度も叱責した事は無い。
10歳を超えた子供は、既に一個の人格者である。彼らの意思を尊重して、必ず話し合った。
そして考えさせた。今お前のやろうとしている事は、良いことか、悪いことか。人のために成るか。
そして正義感を育てる教育をした。
おかげさまで、反抗期は無かった。友達も、ガールフレンドも家に連れてきた。
そして出かけるときは何時も一緒に出かけた。ガールフレンドも一緒だった。
家の中には何も秘密がなくなっていた。最低限の信頼。親子関係で、築けないで、何が信頼か。
剣道を過信してはいけない。剣道は、何の力も無いのだ、力があるとすれば、道場の
先生が何を教えるか、何を伝え、何に燃えさせるのか、そして其の炎を如何に持続さ
せるか、それが一番大事な事なのだ。
剣道は単なるそれらを教える、手段でしかない。それを誤解してはいけないのだ。
06/06/16
先日から、少し激しい稽古をすると感じる息苦しさ、このために検査をした。心電図OK、
胸のレントゲンOK、おまけに血圧も下がり正常。
と、言う事は、従来通り、悪いのは、頭だけと言う結果になった。
で、先生曰く、多分大量に汗を掻いていたので体が、水分不足を起こしていた?可能性が強い。
汗を掻いて、ビールを飲んで,酒は、からだの水分を取る。そう説明受けても・・・・・・・
デモね、人生の三分の二以上は、そうやって来たし、
アルコールでない水分補給も確りしていた積りだし〜、
別に酒の量が増えたわけでもないし〜?・・・・・
絶対に、言いたかね〜けど(老けたか〜)でも、これって非常にクヤシ〜〜〜、絶対
に認めたくね〜〜〜 ましてや、野生を自認する、熊に取り、これは屈辱でしかない。
この心境や、おだやかじゃね〜ぞ。でもさ、日本では凄く感じた息苦しさ、カナダに
来たら正常に戻る。
これって、27年間の間に熊の体は知らぬ間にカナダ仕様に変化?
進化?鈍化?した訳だ、と言うより、日本の環境が、毒ガス?、排気ガス、タバコ公
害?日本全体の空気の酸素含有量が不足しているんだと思う。
熊はまるで、酸欠の金魚見たいに水面に鼻を上げてパクパク、を余儀なくされていた
訳だ。 来年の京都は、酸素ボンベ持参で行くか?酸素ボンベは爆発物扱いだから、
飛行機に乗る前、国際テロで逮捕されても困るしな。
と言う事は航空機には乗れない?では船で?そんな船旅で行ける悠長な時間も無い
し。 日本で調達でもするか?笑。背中に酸素ボンベ背負って、メン〜〜〜、ナンテ
できるかな?笑
若し来年、京都でボンベ背負って稽古やってる奴が居たら、それは熊です。「絶対に
在り得ません。」爆笑。
まあ、体が正常だったから、こんな軽口も叩いて居れるのだけど、体だけは大事に使
わないといけませんね。 頭のわるい、熊さんでも今回はしみじみと、
からだの大切さを噛み締めました。
06/06/10
お粗末な人間というのは何処にでも居るもんだ。其のお粗末を作るのは何か、殆どが我欲である。
要するに自分だけが良ければ良い。誰もが自分は可愛い、しかし、それを前面に出すと、人間メクラになる。
現在、世情を騒がせている、M ファンド、L ドアにしてからが、自分本位の利益のために、人心を裏切り、株を買占め、膨大な利益を上げた、しかし、其の顛末は何と哀れな事か。
人間の遣る事、大か小か違いは在れど、何処にでもある。イヤ、何処にでも居ると,言い換えた方が良い。
熊の過去を振り返り、自分にも思い当たる節が沢山ある。欲に駆られている時は、本物が見えない。
それで沢山の失敗もして来た。大きな火傷もして来た。人生どん底も味わった。お陰で、真理が見えてきた。
剣道界でよく使われる教えの中に、勝海舟の剣道の師で島田虎之助の言葉に素晴らしい極言がある。
「自ず剣を学ばんと欲する物は先ず、心より学ぶべし、心正しからざれば、剣又正しからず、心正しければ、剣又正し」
剣道を学ぶ物であれば、必ず一度や二度は目にした言葉であろう。
処が、このような、立派な教えを目にしても、中々出来ないのが人間の性、目の前の我欲にとらわれ先が見えない。で、大きな失敗に気づいた時はもはや手遅れ、取り返しがつかなくなっている。
イヤハヤ、人間とは哀れな者よ。人を利用するだけ、利用して、自分の間違いで、思うように回らなくなれば、平気で人を裏切る、こんな人間に、まともな世界がついてくるとは思わない。嘘は嘘。真実は真実だからだ。
いま、M ファンドがL ドアを利用して、株価を吊り上げ売り抜けたことが判明した。嘘は必ずばれるのである。其の時、その人を一番信頼していた人は、一体どのような気持ちになるか、耐震構造で問題になった奥さんは、自殺をしてしまった。
心を大事にする剣道界で、人を裏切り、師を裏切った者に、明るい未来は無い。必ず天罰が下るからだ。
06/06/06
今年の京都大会から、範士の先生方が嘆いて居られた事を含め、自分なりに気づいた事、感じた事,かなり辛口に書かせて頂いた。恐らく、これを読まれた方の中には、「あの野郎生意気な」とお感じになられた方も多い事と思う。
しかし、海外で剣道なる、日本の伝統無形文化を出来るだけ正しく継承して伝えて行く立場のものとして、
本家日本が、無様な剣道に成り果てて欲しくない、其の切なる願いから書いた物であり、剣道を心底愛しているからこその、放言であることを、ご理解いただきたい。これで、辛口、いいたい放題は一応終止符にする。
さて、例年、京都から帰ってのこちらでの稽古会、普通は、日本での稽古の貯金といえば良いのか、剣道のテンションがかなり高いまま維持されて、カナダに戻り、稽古に望むので、かなり勢いのある稽古が出来ていた。
勿論、今年も例外でなく、それが出来た。ある一人を除いて。その在る一人とは白熊である。
白熊も、帰国後の熊の勢いは、例年の事として、受け止めている。だから、毎年この時期の稽古は会員全員が、奮起して、掛かってくる。熊も今まではそれを物ともせず、跳ね除けてきた。
だが、今年は、白熊の勢いが違う。ここ2回の稽古、完全に熊が押されている。いや、気迫の押し合いでは負けていない積りだが、攻撃力で遅れを取る。恥ずかしい話、昨日は無理に攻めて出てがむしゃらに取った、小手からの面、と出小手1本。真に情けない結果としか言いようの無い稽古に終始する。打たれた数は数えたくないほど、完璧に面を何本も割られた。
単に懐が深いだけでなく、ギリギリの我慢、溜め、その上での見切り、それからを、相乗しての捨てた切った打ち。イヤハヤ手も足も出なかった。此方も、ギリギリ攻めて、ここだという機会に出るのだが、それを全部上から乗られてしまう。まるで、此方が白熊の懐に吸い込まれてしまうみたいな感覚すら覚えた。
今彼は、仕事でも、自ら立てた事業計画に立ち向かい、超多忙な日々を過ごしている。
人間、気合が入っている時は仕事でも全てにおいて充実しているという事であろう。手が付けられない状態だ。
彼は、忙しい合間で、週一度、日曜だけしか稽古に出て来れない、其の中で、確実に実力を伸ばしている。
正直、日本でお手合わせ頂いた、幾多の先生方でも、これほど熊をてこづらせる、方は経験が無い。
お互い稽古の手の内は知り尽くしているが、それらを割り引いてでも、今の白熊は強い。
彼はいつでも口にする、仕事も剣道だ、小規模経営は道場其の物だと、彼は言い切る。
単に体を掛けるだけの剣道から、ある程度技が出来たら、気と心で遣る剣道、その意味で彼は確実に進化している。
昨日の白熊の稽古を見ていた、ユウノスケが白熊に聞いた。「何年位で、そんな完璧な剣道になれますか?」と白熊は言った。「完璧でなんか無いよ、それと年月でもないよ、いかに一本一本真剣に全身全霊を掛けて、気を抜かないで、絶えず、反省を繰り返しながら、遣るか、これしかないのだ」と、若手の連中に諭していた。
年月を掛けたから剣道は強くなるものではない。いかに真剣に全身全霊で、取り組むかで、人それぞれの差が出
てくる。今の彼の口からなら、其の言葉を十分納得させうる、力があった。
06/01/06
日本の友人から、京都大会の立会いの模様をDVDに焼いて送って頂いた。
それを、養心館の生徒と一緒に拝見した。さすがに、教士のランクになると、有名選手が名を連ねる。
ところが、それを見ていた、生徒から、非常に素朴な質問があった。「先生帯刀姿勢の竹刀の持ち方は、アレでいいの?」
これには、熊も指導者の一人として、答えを出さなければいけない。
「うん〜〜ん、まあ、8段位なったら、基本を忘れたのでしょう。」
でも、「この方々は、教士でしょ、教える資格のある人が、間違いを平気で遣っていたとしたら、習う方は間違いを正しいと思いますよ。」
これには熊自身も、言葉に困った。
錬士、教士、其の仲で、非常に目に付くのが、礼をして、試合場に入る際、そんきょするまでの間の帯刀持ち方が非常に悪いという事。少年指導要項の中でも帯刀姿勢については述べられているにも関わらず、平気で、刀を水平もしくは、前下がり、(柄頭がこじりよりも低い)状態で試合場に入る。
帯刀して、3歩前に出るときは、つばに親指を掛けた状態という事の、想定だから、刀が鞘走りをして、抜けて落ちる事は、無いかも知れないが、、立会いの礼の時は携刀姿勢で、つばには、指が掛かっていない。
その場合、柄頭が低く、こじりが高ければ、刀は鞘を離れ、鞘の外に飛び出してしまう。
戦う前に、刀を地面に落としてしまう結果になりかねない。
確かに鯉口と、ハバキが確り閉まっていれば抜けないと言う理屈は成り立つかも知れないが、武士たる者、戦いを前にして、そんな、ずさんなことで、自分の命が守れるであろうか。それで、相手に勝てるとお思いであろうか。
それを由とするのであれば、現今の剣道などとは、臍茶物である。
剣道八段といえば、1%を切る難関で、完璧を期された審査であるはず、それが、こんな基本的なことも審査されないで、
単に叩き合いだけを審査するようになったのだろうか。
熊は昔、親父にも、中西 康範士にも注意された事がある。竹刀は、刀である。
刀と同じ取り扱いをしなければならない。お二方とも、剣道、居合道範士であらせられる。
刀のもち方を知らない剣道家、最高段位を極めても、意識が低くなったと、範士の方々が嘆かれるのも無理は無い。
05/25/06
古い(?)先生方は、往々にして、歯に物着せぬ、言い方を為さる。江戸の昔から言わ れてきた。今の若い者は これは時代の流れに変わらず、永久的に言われ続ける言葉であろう。
確かに、時代が変われば、生活文化も変わり、人間も変わる。歴史も文化も何時かは 忘れ去られる時代が来るのかも知れない。処が、昨今、世の中を見渡せば、治安的に 段々悪くなる世の中に反して、経済的に逸脱した行為は、どんどん取り締まられてき ているような気がしてならない。
毎日のように出てくる、社会的事件。耐震構造、ライブドア問題ですら早、古いニュースに成りつつあり、 アイフル、の営業停止、今度は損保の営業停止、社会保険の偽装問題と次から次とで てくる。
それだけ人間がお粗末に成り下がった証拠であろう。子供の虐待、子殺し、親殺し、 幼児殺害、ひき逃げ放置そして、談合や、保険金未払い、凶悪な取立て、経済界、役 所の腐敗、何がこんなに、美しい安全な日本を台無しに変えてしまったのか。
私は、カナダに住む、カナダ国籍の、門外漢である。でも、日本の伝統文化、剣道が 好きで、其の普及に命を掛けてきた。正しい事を普及するために、嫌われもし、足も 引っ張られ、デマまで飛ばされた。でも見ている人は居た。頑張ってきた甲斐があっ た。日本伝統文化、美しかった頃の日本の武士道、剣道をカナダで花咲かせようと思 う。
二重国籍排除で日本国籍を剥奪された今、現今の社会事情を鑑みる似つけ、其の事 が、今はそれでよかったのだと、嘯きながらも喜ばしくさえ思えてくる。いまや、武 士道に裏づけされた、美しい、自信と信頼と尊厳に満ちた、日本はいまや世界に存在 しない。今のベストセーラー国家の品格が無くなった。そうとすら思えてくる。
年老いた大範士の先生方が話されていた。正しい事を口にして、正しい事を遣ろうと すれば、人に嫌われる。 おかしな世の中になった物だと。良薬口に苦し、苦言は自分の糧。其の言葉を聴くの がイヤで、取り巻きが居なくなる。
京都で、幾多の年老いた大範士の先生方が、一人で、誰のお付も無く、寂しそうに歩 いて居られたことか。 正しいとは一に止まると書く。真理は一つしかない。正しい事を聞く耳だけはなくし たく無い物だと思う。 そんな事を考えさせられる京都大会だった。
05/23/06
親父について、少し語りたい。熊の親父と呼ぶその人は、静岡、藤枝にお住まいの羽 賀忠利範士。熊親子の剣道、居合道、そして、人生の師匠である。
別に、血縁関係があるわけではない。32〜3年前富山で、村雲清信先生の、凌雲館 に招聘して、指導を仰いだのが始まりで、それ以後懇意にして頂き、熊が27年前カ ナダに移住して、自分の剣道に先行き限界を感じ、誰か、良師に付かなければという 事で、カナダに毎年14年間、夏八月に一ケ間、我が家に滞在して頂、指導を仰いで きた。
親父は、我が家を基点に、アメリカ各地も指導に回られた。77歳を過ぎた頃からは アメリカ行脚もやめられ、ただ只管に、熊親子に指導の目を向けられ、それは筆舌に 表せない、御教導に預かり現在に至る。
羽賀範士は、全日本剣道道場連盟の副会長、武講同窓会、居合道高段者600名を越す 会の会長を勤められ、非常に交友の広い方で、毎年の年賀状は5000枚を越す。最 近数を減らしたと言うが、それでも3000枚は下らないのだとか、11月初旬から、 それを全部手書きでしたためられるのだから、大した物である。
範士は若かりし頃、国士舘大学で学び、その間、国士舘高校で舎監をされていた。恩 師には斎村五郎、小川忠太郎範士を初め、中山博道範士にも指導を仰いだと聞いて いる。
面白い話を聞いた事がある。範士は、海軍の士官学校で剣道の教鞭をとられた事があ る、そのときの教官が二人。一人はA範士。A範士はよく生徒に、ピンタを張られ たようである、しかし、羽賀範士は一度たりとも、生徒に手を上げられた事が無いと 当時の生徒の方から聞いた。そんな折、戦局も極まり、本土決戦で、竹やりで応戦 すると言う話が出て、槍の使い方を教えるべく、軍部から命令が降りた。
幾ら剣道の先生でも槍の使い方までは知らない、そこで、実兄の羽賀準一範士に相談 した。準一範士は、中山博道範士のひぞっこで、当時有信館の三羽烏と歌われ、剣道 界の暴れ者の異名をほしいままにしていた。 準一範士は、かの有名な王貞治監督が、世界のホームランバッターに仕上げた影の立 役者である。
王監督に、居合と剣道を教えられ、球を切れと教えられたようである。あの王監 督の、飛球の高い独特のホームランは準一範士の教えによる物である。その準一範士 が忠利範士に中山博道範士を紹介して、槍の使い方を教えていただけるように手配を した。昔の剣道家、特に神道無念流の宗家、博道範士は剣道、居合、杖道、武芸百般 に通じていたらしい。
羽賀範士がまだ20代前半で、当時博道範士が、60〜70代の頃かと思われる。その博道 範士が、本身の槍で突いて見よと、言われたそうである、忠利範士も血気盛んの頃 とて、博道範士にまともに突いて出たようである。処が、どうした事か、其の突いて 出た槍が、博道範士の脇の間に挟まり、うんとも寸とも動かない。
其の上に、博道範士が、其の脇に挟んだ槍を、引くと、忠利範士はものの見事に床に 転がされたそうである。 其の話を聞き、まさか、作り話でしょうと、熊が揶揄をしたら、丁度、其処にあった 天窓を開ける、槍のような樫しの棒があり、嘘だと思うなら、お前が突いて見よ、とい われたので、熊が其の棒で突きかかったら、其の棒は、忠利範士の脇に吸い込ま れ、押しても引いてもびくともしない。
これには、熊自身が体験した事実であり、驚きであった。人は、人との出会いがあ り、その人がどんな能力を秘めているか解らない。忠利範士の竹刀での新聞三段切 りにしても、実際目にした人でなければ信用が出来ないであろう。昔の先生は、人知 れず処で、どれだけの稽古を積まれた物か、計り知れないのである。
そして、忠利範士は、非常に幅広く本を読まれ、其の仲から、剣道に役立つと思われ る所を、何時も抜粋をして、ノートにメモを取られる。今回、熊が京都で、ご指導い ただいた、点についても、ちゃんと其の出展があるのである、相手と和する戦いは、 鬼一法眼が、源義経に認めた書状の中にあるもの、気を緩めず剣先を緩めよの話は、 千葉周作の遺稿集から。其の原本と、解釈文と、共に、お渡しいただいての御教授。
わざわざ、それを手書きで、熊の為に認めていただいたのである。単なる、話だけで はない、口先だけではない、時代を超えた、尊い教えを、愚鈍な熊にも解るように、 本物をお教えいただいているわけです。それだけの忠利範士の、博学、に驚き、啓蒙 してやまない、熊の師に対する、畏敬の念をご理解いただけたら、何故、取り巻きが 居なくなる先生と、死ぬまで取り巻きに囲まれる先生の差が何処にあるのか、ご理解 いただけるものと思う。
05/18/06
前回の、つぶやきで、熊如きが生意気な事を、と、思われた方々が多い事と思う。 実はこれは熊が言っていたのではない。今回京都で、範士の先生方の会話をかいつま んで書いた。 勿論。熊もこの意見には、賛成の意思を表明しているからこそ、ここの載せた訳では 在る。
熊自身は、無形の伝統文化が、そう簡単に変わって良い物なのか?それは何時も疑問 に思っている。 それと、昨今、剣道界は、先輩の大先生方をおろそかにする、風潮が見えるようで、 悲しい思いをしている。 今回、熊が、信奉する、大阪の九段の先生が、京都に顔を出さなかった。寂しい限り である。
3日の朝、朝稽古で、今までに無い、異常な光景を見た。何時もなら、処狭しと、居 並ぶ70歳代の範士の方々が、全然出て来れれないという現実を目にした。若手?の範 士筆頭の福○範士の上の先生方が皆無。 朝稽古の挨拶に立った、福○範士が、席に戻り、若手八段に上に詰めるよう要請しな ければ成らないほど、 その空間は、異常に感じられたのは、恐らく、熊一人ではあるまい。
稽古が始まり、後で、数人の70歳〜80歳の範士がちらほら数人が並ばれたが、以前ほ どの賑わいも無く、何故、其処に先生方が消えたのか?不思議でならなかった。その 日の午後、某、有名範士から、こんな口説きを聞かされた。
S県のI範士、「私は29日から京都に入っているが、取り巻きが一人も居ない、これ は寂しいもんでっせ。」 その話を聞き、同県のH範士が、「自分達が八段位成るまでは、一生懸命、ゴマもす り、チヤホヤもするが、八段をもらってしまえば、もう年寄は、用は無いのさ。」
I範士「昔は、先生の面倒を見るのが弟子の仕事、我々は喜んで、おつきの仕事をし た物だが、今はそれが無くなりましたね。そのお付の仕事をするから、誰にも言わな い秘術を先生から教えて頂けた物だが・・・。」
H範士「「今は簡単にすぐ先生になってしまうから、そんなありがたみはすぐに消え
てしまうのでしょうよ。」
I範士「今回、20人の八段が出たが、そのうち、3人が前回形で不合格になった人だと 聞きました。八段を受けようとするものが、形すら知らないで受けに来る。その事自 体が可笑しいのに、それに気づかない、そんな人が八段に成る。何のための八段なの か、叩き合いだけ上手ければ八段を通す。ここに問題があるのでしょうな」
H範士「昨今の八段は、昔の七段、それくらいの力しかない。風格のある、立派な剣 風の人が少なくなった。」
I範士「昔は、範士との稽古で、範士の風格を学ぼうと稽古に来た。今は、範士を叩 きに来る、これは難儀でっせ。打たれれば、ナンダあの範士は、と成る、範士も叩き 合いをしなければならない時代、悲しいものです。」
続く。
05/18/06
今回、日本で感じた事。師とは何、教えとは何、である。 従来、剣道形は時代的に、幕末、明治、大正と実戦経験に近い感覚をお持ちの先生方 が決められたものである。その剣道形を、現代の安全ボケした、ぬるま湯の中で育っ た剣道家如きが、改革と称して変えてしまう。 居合道にしても、そうだ、剣道を知らない、出来ない居合道だけの先生方が、全剣連 居合を変えてしまう。
昔、小川忠太郎範士九段が言われた、「人間が決めた事は人間が変えることが出来 る。 しかし、剣道形を変える時は、その決めた先生方以上の実力や、見識を持ってから変 えなさい。」
果たして、今の剣道家に内藤高治、高野佐三郎、中山博道範士をを超えたと言える先 生が居るのだろうか。 若し、ご自身が超えたと、口にされるならば、もはや、その人は剣道家でも、指導者 でもない。 単なる欺瞞家に他ならない。見ていて、滑稽さを覚えてしまう。剣道形や、居合は 踊りではない。 伝統の文化なのである。その文化を、単なる全剣連の委員になったから、自分の足跡 を残す為に、変える。 慢心も甚だしいと、言わざるを得ない。
居合の中でもそれは見て取れた、諸手突き、の突きが変わった。アレで突けると思 うのか、全く突きを知らない突き、としか言いようが無い。 おまけに、剣道形四本目、間合いを知らない剣道形。間合いが近ければ、引けばい い? 間合いがわからなければその場で死んでいますよ。先生。引く前に、切られていま す。
そんな事も解らない人たちが我が物顔で、伝統遺産、文化を平気で変えていく。 改革なら許せる、改悪に気づかないから、始末が悪い。それを奨励する、全剣連一体 何なのだろうか? 詳しくここで書いても仕方が無いが、剣道、居合道が段々悪くなって行く。それだけ は事実だ。
続く
04/23/06
恐らく、これが今月最後の書き込みになるか?いや、もう一度くらいつぶやけるか・ ・・・。 何しろ、その後は2週間以上お休みを頂く。剣道の貯金と、新たな教えを求めて、日本 行きだからだ。
昨日葵武道具から、京都で使う特注の竹刀が届いた。色々無理を言って作っても らったが、満足、満足。 バンクーバーに剣道具やが出来たことで、非常に便利になった。
熊はこの後4月28日にバンクバーを発ち、日本に向かう。9時間後、関西空港着が29日。時差の関係だ。
京都では、4月30日、5月1日と、親父が会長の武講同窓会の居合道セミナーに参加。 剣道の稽古もする。 2日は、八段審査。応援、見学にでも行くか。観光でもするか。この日は自由時間 だ。
3日は6:30〜8:30まで朝稽古、午後の五時からは、道場連盟の稽古会がある。親父が 道場連盟の副会長。 親父の代わり(恐れ多いが)に参加する。親父が偉すぎると、子供は苦労をする。笑。
4日は朝稽古、範士の先生方に掛り、去年からの約束した方が何人か居るので、サブ道場で、7:45分頃から稽古をする。午後は、森田先生の鹿志館で稽古することに成る だろう。毎年呼ばれる。
5日は朝稽古の後、10:00時頃立会いがある。その後は、範士の方々の剣道を、見取り 稽古させて頂く。 そして、今年の京都が終わり、この後は時間の許す限り、日本各地で稽古をする。 予定では、愛媛、愛知、東京、静岡、富山。 果たして上手く回れるか。昔と違い、体力が持つかどうか??愛知以外は、殆ど日に 二回は稽古をする。
愛媛は羽賀の親父が毎年お邪魔をする。三浦先生の関係もあり、ここで、中学生対象 の稽古会があり、 その指導のお手伝いを、させていただく事になった。夜は夜で、地元、新居浜の稽古 会に参加させていただく。愛媛では、恐らく一日中、稽古着を着ているだろう。ま あ、人使いが荒い事、嬉しい限りだね。爆笑。
まあ、墓場まで、剣道と道連れを決めているのだから、どうって事はないけど。 これだけ剣道が出来る環境を作れる自分の人生と、回りの人々に感謝して。万歳。
04/20/06
最近、礼について、考えさせられる事があった。世の中にある礼は、時と場合によ り、色々受け取り方考え方が変わるのかもしれないが、相手を敬う心が原点である事 には誰も異論が無かろうと思う。
で、お礼、と成れば、何かに対して、感謝の意味を込めた贈り物をしたり、その趣旨 の手紙を出したりする事に成るのでは無かろうか。形でそれを表すのがお礼になるの だと思う。
勿論、通常の礼にも頭を下げる、手を握るなどの、態度敵表現はある。しかし、其処 には物質の交流は無い。
さて、ここからが本題だが、今回、日本へ帰国に際し、例によりあちこちで武者修行 をさせて頂こうと考えた。 その在る所は、個人的にふらりと、おとづれる、積りで居たのだが、その地域には、 親父の知己を得た方が居る。 その方がわざわざ、親父の弟子の方ならば、という事で、熊の稽古会に挨拶に来ると 言われるのである。 それで、色々お気遣い頂いているらしい、情報が入るに付けこれでは困ると思い。親 父に電話した。
なぜなら、その町で、稽古をさせて頂く事につき、その話が、後から親父の耳に入っ ては、親父も面白くは無かろうと、気を回した。その方が、挨拶に出てこられる、と 言う事であれば、尚更事前に親父に連絡をしておく必要がある。お膝元を汚し、稽古 を頂き、地域の方々にお世話になるからである。
で、親父に、稽古に行くので、情報により、事が大げさに成らないように、よろしく 伝えて欲しいとお願いした。 親父は律儀に、即その方に電話を入れたのだが、電話した事で、その方は逆に考えて しまったらしい。 熊は一面識も無い方なのだが、親父の電話で、直弟子を、粗末には出来ない、と言う 事になったらしい。 話がどんどん、違った方向へ、走り出した、ブラリ、一人旅の積りが、供応を受ける と言う話まで発展した。
それでは困る。人様に迷惑を掛けてまで、剣道をする意味合いは熊には無い。自分で
は未だ未熟。一修行者の積りで居る。処が、段が8つに成ると、回りはどうもそうは
見てくれないらしい。
熊が、6つだ、7だったら其処まで話はでかく成らなかったであろう。礼も行き過ぎる
と、トンでもない負担になる。
04/13/06
いよいよ、京都が近くなってきた。今年は最近引いた風邪の為に余り本格的に体を掛 けた稽古に打ち込む事が出来ないで居る。相掛かり稽古と、打ち込み稽古が少し減っ た。マア、年相応なのかも知れない。
しかし、稽古、剣道は、毎日の積み重ねだ。にわか仕込でどうなる物でもない。 日頃、気を抜かないで、稽古している積りなので、結果はどうであれ、一年間の研鑽 を披露するだけだと、 自分に言い聞かせてい居る。それと、本来日本に出かける最大の理由は武者修行であ る。
京都大会に行くと全国の剣豪が集う。又、高名な範士の先生方にもお稽古頂ける。こ れは、日頃、熊のように孤立した山の中で、限られた人々としか稽古できない。 環境のものには非常に在り難い学びの場なのだ。 だから、京都の朝稽古では、8時まで出来る限り上の先生にお願いをしている。8時を 回る頃に初めてサブ道場で、お仲間に稽古を付けて頂いている。剣道だけの2週間の 旅、それが熊がもてる、ホリデーの使い方。 人の目から見れば、贅沢な話なのかも知れない。
しかし、熊はその為に一年間頑張って働いて居るようなものだ。10歳からはじめた剣 道だが、高校卒業で、一時中断はしたものの、こうして続けてきたと言う事は、剣道 が好きだという事だろう。
剣道をやりたいが為に仕事も変えた。カナダに渡った当初、庭師の真似事もした。重 い石や土、雑草取りで、 腰痛をきたし、ぎっくり腰に泣き、剣道が遣れなくなっては大変と考えに考え、日 本に帰れて、全国を武者修行をかねて回れる、仕事に就いた。
そして、本当に、剣道具を担いで、全国を回った。東京滞在では、必ず警視庁、野間 道場で稽古をお願いして、大阪では、清風高校の朝稽古、大阪府警、修道館の夜稽古、九州、鹿児島、博多、小倉、大分、広島、山口、岡山、姫路、京都、奈良、山梨、静岡、 浜松、名古屋、岐阜、埼玉、茨城、千葉、群馬、福島、盛岡、新潟、ホームグランドの富山、各地でお世話になった。
自分でもあきれる位、よく回ったと思う。全てが仕事がらみで回れた。今、白熊、 黒熊に言ってもまねは出来ないし、したくも無いと言う。反面教師だ。これが、日本 の住民なら、そういう人も居るだろう。 海外からの出稽古。死んだ女房だからこそ、許してくれた我がままだった。今更、感謝しても遅いのだが・・・。
04/01/06
心こそ、心迷わす心なり、心に心、心許すな。
8年前、末期症状の癌手術で、九死に一生を得て、奇跡と言われて生還した。
医師には、「逢いたい人が居たら今の内に逢っておきなさい。」と言われ、
覚悟を決めて、自ら戒名まで考えて、手術に望んだが、何故か、未だ死なないと言う
気持ちがあった。
商取引で、詐欺に遭い、全財産を無くし、それでも強かに戦い続けて居たと、思うの だが、冷静な師匠の目から見れば、満身痩躯であったに違いない。そのとき一冊の本 を頂いた。 人間の命の根源に触れ、命は大宇宙の無限なる力。その本の内容に深い感銘を受け て、実践していた。
それが功を奏したのか、医師が、嬉々として、奇跡が起きるかも知れませんといっ た。 10日後退院し、1ヵ月後に行われた検診で、腹中のポリ−プは全て白と確認されて、 今日まで命を永らえている。そのときの経験が、心の持ちようで、運命が変わること を知らされ、心について、それなりに勤めてきた。
だから自分の心はそれなりにコントロールできると自負していた。 自信過剰。のぼせ上がったわけではないが、自作の座右の銘まで作った。
大宇宙の力総身に満 気を持って事に当たり、 怒る事無く、悲しむ事無く、迷う事無く、恐れる事なし。
実際、これを実践して、自分で言うのも何だが、心が動揺を来さなくなってきてい
た。
先ず、自らの心を汚さないように、怒り、悲しみ、妬み、嘘は、心に持たないように
してきた。
嬉しい事、楽しい事、朗らかに、大らかに、正しい事だけを心に留めるように生きて
きた。
心が汚れると、血液中に毒素が増えるという、嘘みたいな話も信じた。事実そうであ
るらしい。
だから、自分の心を強くして、何事も、必要不可欠の事として、肯定し、感謝してき た。 自分の心に自分の心が振り回されて成るものかと、気力旺盛に何事も積極的に取り組 んだ。
何時の日が、長い間に、それが当たり前になり、努力をしているつもりが、努力を忘 れていた。 いや、それは単に、見ざる、言わざる、聞かざる、触らず、近寄らず、と心に蓋をし てきただけなのかも知れない。 罰はてきめんに来た。とある人との会話に、心を乱されている自分が居た。如何しょ ようもなく足掻く自分が居た。
未熟なものである、出来ていたと思い違いしていたのだろうか、いや確かに一時は出 来ていた。確信がある。 でも今は心が逆戻りをしてしまった。厄介な事だ。何時まで、この心が乱されたまま に成るのか、神のみぞ知る。
03/23/06
最近、つぶやきを書いては消し、書いては消しの繰り返しで、内容がまとまらないでいた。不思議な事に、内容が悪いと、記載されずに、天が記載拒否を決め込み、サイトが拒否反応を示して、書いたものが消えてしまうこともたびたびある。まあ、そんなことの繰り返しで、文章スランプ(笑)でした。
内容は、現在の剣道界に試合は必要かどうか、と問いただすものであったが、3度書いて、3度消えてしまったので、それは書くなという事だろうと、納得した。これは又の機会に書いてみたいと思う。
さて、此処、三日花冷えの日が続いたが、今日は午後から晴れた。久しぶりに公園を散歩して、大量に酸素の補給を図り、気分爽快。
桜も咲き始め、街は急に色づき始めた。気分爽快な時は話題も気分爽快に行きたい。
最近友人の新潟に住む剣士が、形の講習会に出たと報告をしてくれた。講師はかの、千葉 仁範士である。わが友人は、この機会を逃さず、自分の勉強にと、全剣連発行の剣道形解説書を持参したそうである。何名の参加者が参加されたかは不明だが、殆どの方が、解説書を持参せずに参加をされたと言うことらしい。特に、高段をお持ちの方々にそれが顕著に見られたと言う。
そこで、彼が驚いたことは、千葉 仁範士が解説書の一字一句間違いなく説明されたと、嬉々として、報告をされていたことである。
教える方が、真剣で、習う方が、いかにいい加減な態度で講習に臨んでいるか、ソラ恐ろしい思いがした。
千葉仁範士とは個人的にも非常に仲良くしているし、彼の講習は、熊も受けたことがあるので、分かるのだが、剣士としても、指導者としても、一流の方である。其処に参加された方々は、非常に無駄使いををされたものだと、、まさに猫に小判、もったいない事だと思う。
此処カナダでは、なかなか、一流の方々に教えを請う機会が少ない。だから、熊は、先生方を招聘したり、自らも、日本に出向き、教えを乞うて来た。それですら未だに満足なことが出来ていない。
剣道の本場、日本にいると、全てが何時でもどこでも手にはいる、そう、簡単にお考えなのかも知れないが、中々どっこい、そうは問屋はおろさない。皆さん、自分で好きで始めた剣道、もっと、謙虚に、貪欲に勉強しても罰が当たるまい。もったいないことをされるものだ。
昔、榊原 正範士に熊が言った。「せめて剣道八段くらいには成りたいですね」範士曰く。「あのナ、俺は十段目指して剣道やってきて、やっと八段に成れた。初めから八段が目標なら、八段なんかに絶対成れないよ。」だってさ。
第一回の全日本選手権者。榊原範士ですら、それだけ謙虚、貪欲に努力をされておられた。千葉 仁範士も、形の解説書を丸暗記されるくらいに、熟読されている。マダマダ未熟な、熊も、もっともっと、貪欲に勉強させていただこうと、思いましたね。日本の修行者がそのような態度なら、いつか、日本が世界の何処かに負ける日が来るかも知れないからね。だんだん楽しみになってきました。
03/13/06
一期一会と言う言葉がある。 何処でどんな人と出会うか、それは誰にも分からない。だからこそ、其の出会いを大 切にして、 其の出会った人に最高の心を込めてお相手をする。と言う意味に捉えたら良いのだろ うか。
熊も、今まで沢山の人々と出会い、其の方々の英知と親切により、今日まで生きてこ れた。 又、剣道と言うものを通じて、仮にも指導者として、幾多の人々に手ほどきをさせて 頂けた幸せは、舌語に尽くせない、自分の心の財産と成っている。其の都度、懸命に 出来る限りのことをしてきた積もりである。
あるとき、京都大会の宿で、静岡の井上範士と子供の指導について話す事があった。 範士曰く、子供の指導は、体の動く30代が一番良いと言われた。
カナダに帰り、自分の生徒を見渡した。確かに、自分が30代で指導した子供達と50代で指導した子供達では、差がアル。自分なりに、体を掛け、一生懸命指導に励んだ 積もりで居たが、効果が以前ほど現れていないという事なのだ。
それをアル日本から来た剣道をする女性に話した事がある。 彼女は、いとも簡単に言ってのけた。「先生、年が行ったと言う事ですよ。」 なるほどな〜と、妙に納得してしまった事を思い出す。
確かに、打ち込みや掛かり稽古を見本として見せてでも、以前ほどのスピードも切 れも覇気も無いであろう。 技にした所が速さは消えている。ところが、剣道は30代より無駄が無くなり、間合 いが読めて、力も抜けて、強くなって来ている。
剣道が、他の体力、筋力勝負のスポーツと一番違うところ。今でも30代前半の白熊 や黒熊を相手にしてでも、一歩も遅れを取る事無く遣れる。ましてや20代の生徒な ら、息を上げさせて使う事が出来る。
これは、一重に誰とでも何方とでもその場限りのお稽古でも、何時も真剣に 一生懸命お相手させて頂いた、恩恵なのかも知れない。一期一会の言葉は、何も特別 のことではなく、毎日、毎日、一秒一秒がそれであると思う。
最近は、30代では出来ない、深い処の指導を心掛けて、ただひたすら、自分に正直 に、一秒一秒の出会いに、心を砕く毎日である。
03/06/06
花を何時咲かせるか、これは剣道界で、永遠に取り組まなければならない問題なのか も知れない。
以前教えた子供にこんな事が会った。その子は、兄弟で剣道に通っていたが、上手く 二人とも9歳以下の部で優勝した事がある。ところが、10歳になると、13歳以下の部 に入る。子供の成長期、10歳と13歳では体の大きさ力が全然違う。ところが、一度 子供の試合に優勝を経験した親は、その子に、又優勝を期待してしまう。
当然、彼は頑張ってベスト8くらいまで食い込むのだが、親はそれでは満足できな い。 当然子供に文句を言う。「何故だ、何故勝たなかったのか」と。力も体力も違い技 も違う。そう簡単には勝てないのが当たり前で、ベスト8なら文句のつけようが無 いはずなのだが、親馬鹿はそれに気づかない。
過剰な期待を掛けられ、それでも自分の出来る事以上に頑張りを見せ、それで文 句を言われた子供は一生懸命に遣って文句を言われれば、当然剣道が嫌に成る。 そうすると今度は次男の方に期待を移す。結局、次男も同じ理由で稽古が嫌いに成 る。 そして、子供の剣道が良くなり始めた頃、13〜16歳くらいになると、親の言う事を聞 かなくなり、 剣道から離れてしまう。幾たびか、それの繰り返し、繰り返し、経験させられてきた 事か。
指導者はこんな空しい思いを繰り返しながら、子供の指導を預かるのだ。 チャンピオンは次に負けたら、チャンピオンではなくなる。
それより努力で、積み上げていく、心のトロフィーを持たせることが一番大事なこと なのだと、親に言い聞かせているのだが、中々理解されない。
どの親も自分の子供だけは特別なのだと思い込みたい気持ちは良く分かる。 しかし、少し冷静に客観的に見れば、親の焦りの為に自らの子を窒息死させて しまっている事に、 気づくはずなのだが・・・。
早く咲いた花は、早く枯れると言う自然の原理をよくよくわきまえて、子供と付き合 う必要があると思う。 将来に向け、今、子供が取り組む剣道は、何のために学ばせるのか、それを、親が確 り自覚する必要がある。
02/25/06
昔々。熊がまだ二十代の頃、小川忠太郎と言う、物凄い先生が居られた。 其の先生が、言われたことばで、未だに分からん言葉がある。 「無心で、おもちゃと遊ぶ、赤子が一番強い」と言われた事だ。 これは何を意味するか、先生は三昧の境地とも言われた。
最近、若い連中と稽古をして思うことがある。 こちらが攻めると、構えを崩して、受けに回る事だ。 もしくは、打たれずに打ちたいが為に、半分受けながら打ちに来る、器用な事をする 奴もいる。 勿論、半分受け動作が入っているのだから、当然打ったとしても、それは当たっただけの事である。 一本になる打ちとは程遠い。なぜ、このような崩れた打ちが出てくるのであろう か。
私は、構えが崩れる事自体、心が崩れた証なのであると解釈している。 厳密に言えば、剣先が中心線より外れたり、足の踵が床に付いたら、崩れたと、解釈 して差し支えない。 だから、攻めて、相手が崩れた場合は、あえて打たないで、顔を覗き込んで帰 ることにしている。 真に不遜な態度ではあるが、其処を打ってしまうと、返って打たれたことで、変 な納得感がまかり通り、 其処の大事さを理解しないまま終わるからである。なぜ崩れたのか、全く理解できな いまま終わってしまう。
たかが、竹刀の打ち合いである、それなのに打たれることが嫌さに崩れてしまう わけだ。 これを思うと、人間は本当にもろいものだ。では、赤ちゃんは如何なのか、ただ無心 に遊んでいる。 恐らく赤ちゃんの頭に中には、おもちゃで遊ぶ以外の雑念は入っていないであろう。
大人になれば成るほど、人間崩れる要素が多くなると言う事か。 イヤハヤ、赤子のままの無垢な、心になる為に、俺は50年掛け手、剣道してきたの か、 恐ろしく、遠回りをしてきたことになる。でまだ道半ばとは・・・。
02/17/06
バンクーバーはもう完全に春だ。けさ、出勤途中の車の中から、桜がピンクに蕾を膨 らませる並木を見た。 山にはまだ十分すぎるくらいの雪があり、ボーダーやスキーヤーを楽しませている。
昨日、世界最大のスキー場、ウィスラーの指導員と話をする機会があった。彼曰 く、スキーヤーとボーダーでは、 ゲレンデにおけるマナーに違いがあると言うのだ。ボーダーには、ルールを守る人間が 少ないと言うのが彼の意見。
確かにゲレンデでリフト待ちの時、順番を無視して、割り込んでくるボーダーが確か に多い。これはなぜなのか、 スノーボードをやられる方には全てのボーダーがそうでは無いと、お叱りをうけそうだ が、確かに多い事は事実のようだ。スキーは歴史も古く、まだ紳士的なスポーツの要 素が残っているのかも知れない。
これは何処に原因しているのか、ボーダーはかなりガッツの居るスポーツだ。ジャンプ をしたり、空中回転をしたり、かなり危険で勇気を伴う。それが自然に、荒々しい、 性格を形成しているのかも知れない。
其の点、剣道は多少気迫のある荒々しい稽古をしなければ、本物の気迫は身に付かな い。 警察剣道の実態は、殆どの方が知らない世界。しかし彼らは、凶悪犯と体を張って戦 わなければ成らない。
そのために、警察剣道では生半可な稽古ではない死闘が繰り広げられる。それがまた
彼らの自信に、繋がって居るのも事実。熊も若い頃よく、警察機動隊で、稽古をお願
いした。一時間、突きだけの稽古で、鎖骨が折れ、それがそのまま固まり、いまだ
持って鎖骨が変形したままだ。
熊は高校生の時代から、国士舘で大将を勤めた先輩に、嫌と言うほど突かれてきた。
だから厳しい、稽古でも、嫌だとは思ったことが無い。むしろ昔やってきた激しい稽
古は、現在の自分の自信にすら繋がっている。
しかしそれだけ激しい稽古をかせる警察機動隊や警視庁の特錬の彼らの日常は、 非常に、謙虚に、厳しく自らを律している連中が多い。これはやはり、単なるスポー ツと武道との違いが、そこに見て取れる気がしてならない。
単なる、無謀な荒々しさ、自分の中で、ちゃんと抑制が効く荒々しさ。同じ荒々しさ の中にも秩序が守られている荒々しさも、武道には在ると言う事を、うれしく思う一 人である。
02/08/06
久々のつぶやきである。書こうと思いつつも、何だかんだ雑用と頭の悪い熊には 構想(そんな物あるのか)がまとまらないで居た。
実は今週の土曜日18日に、S道場の大会がある。前日の金曜日には夜稽古会がある ので、久々に出かけて見ようかなと、思っている。遠くロサンゼルス、サンフ ランシスコ、ハワイからも選手、先生たちが稽古会に参加するので、楽しみな稽古会 になる。
でも熊の年齢の連中は殆ど稽古をやらなくなっているのでは、と、一寸不安な気もす るが、まあ、若い連中が相手でも汗くらいは掻けるであろう。 特にカナダでは、試合を中心にやってきた指導者は、稽古会になると打たれることが 多いので、稽古会には出なくなる。本来の剣道のあり方を理解していないがため、負 けること、打たれること=格好が悪い=プライドが許さない。と成るらしく、殆ど稽 古をしなくなる、それでも、日本でいくらかやってきた連中は、大人になっても稽古 をするのだが、カナダ生まれの連中はどうもそうは行かないらしい。
この辺が完全にスポーツとなっている証だ。体力が衰え勝てなくなったら終わり、 というのが彼ら的思想なのかも知れない。まあ、そのうち、彼らの時代も終わり、次 世代はみな剣道の稽古をしなければならなくなる。 剣道は口だけでは教えられないからだ。道場の子供たちが勝てなくなれば、父兄は文 句を言うであろう。 スポーツならばなおさらである。勝てないスポーツは、誰も魅力を持たないからだ。
修行に取り組む姿勢がない、背景がないと言えば、それまでなのかも知れないが、剣
道も三世四世の時代に成ると、様変わりしてしまう。伝統の保持なでには誰も目がい
かなくなるのかも知れない。
勿論これは日本でもいえる事だが、最近の試合偏重の剣道は、完全に剣道文化を壊し つつある。 いやも