熊の武者修行伝

 

目次

榊原 正 範士 羽賀忠利 範士 中西 康 範士 井上義彦 範士
名刀&迷刀 見切り 修行者 人の長所短所
審査に挑む 切れる剣道 受け流しの妙 八段審査
書を読め 有声の勢〜無声の勢 自己満足は敵  
金を使え 冗談    
半身の矯正 足捌きと体捌き    
  冴え    
 

相手と和する戦い

   
       
渡辺敏雄 範士 賀来俊彦 範士 堀口 清 範士 西 善延 範士
幻の片手突き 万有引力 心の間合い 熟れた柿
横振り剣術 万有引力 Part II 相気を外す  
  神秘の力     
  中村天風師の教え    
       
佐藤博信 範士 小沼宏至 範士 小川忠太郎 範士 楢崎正彦 範士
浮木 審判 安心立命 背中の壁
自然体 審判の技法 五戒 覚悟(裏話)
    剣道家の恥   
       
長島末吉 範士 中村 毅 教士 佐藤範士の奥方 野正明正、豊稔 範士
剣先を制す 心の弱さ 武士の妻 出端面
       
       
       
森島健男 範士 奥山京助 範士 熊の話  
審査の心得 子供の指導 形の話  
    剣道修行の要諦  
    熊の拝見  
       
       

 

 

熊の拝見 熊

10年ほど昔、今は亡き、楢崎範士九段と中西康範士九段にカナダにおいで頂いたとき。先生がたに無理を頼んで、お二人で立会いをお願いした。其の感動は、今も尚、 熊の脳裏に焼き行いている。

熊如きが九段の先生方のお稽古をどうのこうの言える立場ではない事を重々承知の上で、あえて失礼を省みず書かせていただく。 何故なら、この九段同士の立会いは、現在京都大会でも殆どお目に掛かれなくなってしまったからだ。ここで書かせていただかねば、九段の立会いが幻と消え去ってしま いはしないか、それでは、後進に目指す道しるべがなくなりはしないかと、勝手に思ったからだ。

このサイトを開いた目的が、出きる限り良い文化としての剣道を継承してもらいたい がために開いた。 其の目的に免じて、鬼籍に入られた先生方にお許しを請い、書かせていただく。

熊が今まで見てきた、九段同士の立会い。大きく分けて二通りが有るように思う。 一つは、九段同士、お元気さを前面に出し、お互いの技を披露し合う、手数の多い立 会い。 今ひとつは、お互いの気攻め、位攻めを大切にされて、重厚な立会いをされる方々の 場合。

このお二人は、国士舘大学の同期で、小川忠太郎先生の薫陶の下に修行を積まれ、お互い気心も知れて、仲良しで有った。そこでどんな立会いをされるか非常に興味が あった。

立ち上がり、お二人は、剣先が触れ合わない間合いで立ち上がられた、ジリジリと間合いが迫り、触刃の間合いから、交刃の間合いにまで、間が詰まり、どちらかが、技 を出されるかと思って固唾を呑んで拝見していた。

ところが、交刃の間を過ぎ、中結いが交差しても打ちは出されない。がお互いの剣先が小刻みに揺れて、ビンビンと攻め合いが続いている、そしてお互いそのまま又間が 詰まった。その間約二分間位だと思った。お互い一度も竹刀を振る事無く、お互いどちらからとも無く間を取り直された、そして又同じ二度目の攻め合いが続いた。

お互い全く譲るところが無い、其の剣先に秘められた気迫、は如何な未熟者の熊にも 背筋が寒くなるほどの、 緊迫感を伴い、手に汗握る状態で、完全に吸い込まれるように拝見するしか方法がな かっつた。 多分この攻め合いも3分くらい続いたのでは無かろうか、非常に短く感じられた。

そして三度目の攻め合いが始まった、今度はお互いに間が詰まらない、触刃の間か ら、交刃の間を過ぎて、アッと思った瞬間に、楢崎先生が、面に飛ばれた、其れを、 一歩前に進まれて、中西先生が剣先で楢崎先生の胸を押さえられた。まさに完全な相 打ちであった。

其の一打が出たときに立会人をしていた羽賀範士が手を前に出されて、終わりを告げ られた。 後でビデオを見たら、何とお二人の立会いは15分にも及んでいた。見ているほうも 緊張していた性か、時間が短く感じられたが、15分もの立会いを拝見できた事はこ の上ない身の光栄であった。

其の夜、我が家での会食の時、お二方に聞いてみた。あの間が詰まりだしたとき何か 考えて居られたのか。 そうすると、お二人が揃ってあそこまで行ったら、突くしかない。お互い気が動いた ら突こうと考えていたが、ついにお互いその機を見出す事が出来なかった。それで仕 方なく、間を取り直して今一度お互いの機を探り始めた。

二度目も同じ機会が無い、お互い気の緩みか、打ち気が出れば、間髪を入れず、打っ て出たと思う。 しかし、其の機が見出せないまま又間が詰まってしまった。

三度目の攻め合いで、間が詰まったとき、アレはどちらが仕掛けたのですか。と熊が 聞いたら アレはどちらからと言うのではなく、お互い何と無くココだと感じられたそうで、感 じたときは、お互いが出ていた。

ではお互いが攻め合いをされていて、間が詰まった時、間を切ろうと為さらなかった のは何故ですか。 あそこの場面で、どちらかが間を切ろうとしたら、切った方が負けていただろうね。 間を切るということは、攻めるより難しい。

間を切るのと、逃げるのは違うからね。逃げるのは簡単だが、延を切らずに間を切 る、あの緊張感の切羽詰まった状況では其れが出来ないから、お互いが攻め続けた。

どちらにせよ、あの時点で間を切ったら、間を切った方が負けていただろうね。 間を切ったら、反対側は片方は完全に捨てて打って出れるから完全に仕留められただ ろうからね。

我々くらいのところでは、間を切って、相手を引き出そうとしても、それには乗って こないからね。 だから、徹頭徹尾攻め合うしかない。それで心が動いた方が負け。と解説を頂い た。

気と気の攻め合い、其の中で機を探る。機が感じられたときは、既に勝負は付いてい る。 そんな立会いを手に取るように拝見できた。恐らくこんな好機は二度と持てまい。 お二人には改めて感謝の他無い。

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剣道修行の要諦 熊

今朝、会社の経営上の打ち合わせ時間、白熊が剣道の話をしてきた。コイツもやはり、剣キチだね(笑)。 丁度昨日、剣道日本が届き、選手の竹刀の持ち方の特集を見て、竹刀の持ち方の可 笑しさに気づいてのコメントだった。

勿論、世の中には色々の流派があり、考え方が有る。だから其の遣り方を如何のこう の言う積りはない。 ただ、剣道で有る限り、刀の持ち方に反する持ち方は如何かなと思う次第である。 竹刀だから、叩けばいいのだから、叩きやすいように持つ、では?熊感覚として、 疑問符が?????並ぶからだ。

其れは教え子の白熊とて同じであろう、羽賀の親爺が言う処の切れる剣道とはかけ離 れているからだ。 昔、有る講習会で、雑誌と同じ竹刀の持ち方をしている、有名範士が、刀で新聞きり を遣って、たかが新聞一枚切れなかった。ご本人非常に慌てて居られたことを思いだ した。

チャンピオンの握り方も紹介されていた。おおむね「良」だが、両手の親指の第一間 接が曲がっている。 親指の第一間接が曲がれば、竹刀の打突時、必ず手首が硬くなる、つまり、冴えた打 ちが出来にくくなる。 竹刀を握る時、親指と、人差し指に力を入れないのが原則だ。

だから、親指の第一間接が曲がっていると言う事は、親指に力が入っていると言う証 拠な訳だ。 熊が、自分のサイトの中で良く言う、ミクロの矯正。こんな些細な事に気が付いて、 直していくが如何か、 其の、積み重ねが、進歩のスピードに大きな差を生むと考えている。

我々はプロではない、あくまで趣味で稽古をしており、稽古時間が絶対彼等から比べ れば少ない。だからこそ、工夫と、小さな努力の積み重ねで、其の差を短縮する努力 を惜しんでは成らないのだ。

それで、話に話が飛びに飛び道場の生徒の指導の話になったり、自分たちの剣道の修 行の話にまで飛び火した。そこで、出てきた結論は、剣道とは、究極、攻めと、溜め の修行ではないかと言う事に成った。

勿論、初心の間は、身体をかけて運動能力を高めなければならないが、年とともに筋 力が衰え、其れと同時に、引き換えにと言えば良いのか、無理と無駄の無い動き、柔 らかい動作が身に付き、間合いの見切りや技能が身についてくる。

さて、其の段階に来ると、修行目的が肉体を離れて、心や気の問題になってくる。 そこで、最終的に、名人と、凡人の差が何かと言う事に成れば、攻めと溜めに行き着 くと言う事になった。 このままでは消化不良を起こす人が出るやも知れない。もう少し解りやすく言えば。

攻め=強い気迫、集中力、絶対の積極性、相手を容易に四戒に追い込む事が出きる。 何時でも打て る打突準備、相手の攻めに挫けない、信念、不動心、平常心にまで繋 がりを見せる。

溜め=最後の最後まで冷静に見極め、狂いの無い、判断が下せる。見切り。胆力。其 れが出来て、初めて、間違いのない打突の瞬間が解り、決断が下せる。ここでも不動 心、平常心の繋がりを見せる。 攻めと溜めこの事の修行が、剣道の奥深さを具現化して、その修行差が名人と凡人の 剣道の実力差、偏差値、になるのでは無かろうか。だから、 最終的に、肉体的運動を離れた処に剣道の集大成が有るのだという結論に達した次第。

剣道で学ぶ事、世間一般の出来事や、自分の人生に照らし合わせて、剣道の教えは経 営哲学にも通じる。 こんな経営会議も満更ではないのだ

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自然体 佐藤博信 範士

今から19年昔熊が42歳の時、七段受験で、日本を武者修行して回った。富山、山 梨、京都、大阪、名古屋、静岡、東京、毎日、朝昼晩2〜3回稽古をさせていただい た。そして東京で審査を受ける事にしていた。

其の頃警視庁武道館は、東京の春日に有った。朝稽古を頂いた後、警視庁から六段七 段を受験される方々の模擬審査が行われるので、熊にも参考のために模擬審査を受験 してみてはと、お声が掛かった。

勿論此方に異存が有るわけではない、喜んで参加させていただいた、その結果、一応 可とされた。

しかし、其の時、主席の佐藤博信先生から、熊はカナダで稽古している、だから構え 誰かに見てもらっている訳ではないので、は恐らく鏡を見て直しているものと思う。
と、指摘を受けた。確かに鏡を見て自分の悪弊を直していた。

だから構えが四角く硬い。剣道の構えは、右足、右手が前で構えている。だから必ず いくらか右半身になるのが自然体である。構えを作りすぎて、正面に真四角に構える のは無理があり自然な打突が出来ない。 左肩を少し後ろに引く積りで構えなさいと、指摘を受けた。

其れを意識して稽古をするようになってから、足が自然と出るように成った。 そして今まで、不器用なくらいに力んだ稽古だったが、肩の力が抜け出し、非常に竹 刀操作が容易に成り出した。

不思議でもなんでもないことかもしれないが、身体に一部の本の少しの矯正が上手く 行くと、他方まで、良い影響が出てくる。だから今でも構えは必ず稽古事に自分で チェックしている。

しかしながら幾ら自分の構えとて、気を抜けば途端におかしな処が出てくる 自然体の構え、楽なようで、其処に到るまでは楽ではない、四号錯誤、工夫に工夫を 重ねて初めて作り上げることが出来る自然体。

剣道における自然体は、窮屈の中を通り抜けて、初めて出来るのが本当の自然体なの だと気付かされた。

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剣道家の恥 小川忠太郎 範士

熊が若い頃、26〜7歳であったろうか、毎日稽古をしていた、素振りも毎日課して いた。当時、田舎の事ゆえ、自分ほど稽古をしている人間は居ないと自負していた。

おりよく小川忠太郎先生が稽古会にお見えになり、先生に筋が良いと褒められた。 自分では稽古をしているつもりで居たので、熊は自慢げに先生に言った、今県下で一 番稽古をしています。

そうすると先生は熊に言われた。彼方も剣道家の端くれなら、自分の修行を自慢して はいけません。 本当の剣道家は、黙々と人に隠れて、人一倍に修行をして当たり前なのです。

だけど、どれだけ修行しているなどとは言わない。自分の修行が足らないと自覚して いるからです。自分の修行を自慢している間は、本物では有りません。上には上が居 るものです。自分の修行を自慢していると、不覚を取りますよ。と戒められた。

有り難かった。田舎者の天狗の鼻を見事に折って頂き、本当の修行者の態度を教わっ た。 後に、県警の機動隊や、警視庁にお邪魔する事になり、彼等が修行している、稽古量。 日に二回は最低で、三回、四回の稽古は当たり前の世界である。 日に一回の稽古ぐらいで、いい気に成っていた自分が恥ずかしい。 剣道の稽古は何も道場でだけするのではない、道を歩いている時にでも、姿勢は直 せる、足捌きも直せる。 かばんを持っていれば左手を鍛える事だって出きる。傘を持つ手で、手の内の握りの 確認もできる。 電車に乗り、わざとつり革に繋がらずに、体のバランスを鍛えたという先生も居た。

工夫さえすれば方法は考えればどれだけでも有る。ただ其れを実行できるかどうかだ けの問題だ。 一番、見ていていやなのは、いかにも自分が遣っていると自慢げに話す人だ。 自分がそうであったから、尚更わかる。未熟さが諸に出ている。気をつけたい事の一 つだ。

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熊の形の話 諸先生方

剣道形を勉強する上で、もう少し格上の形を勉強したいと考えている人。 こんな点に、意識を置くと、面白く勉強できますよ。

これは、熊が今まで教えを受けた九段クラスの先生方から聞いたお話。 信じる信じないは皆さんの判断です。

@皆さんは1寸止め、とか5分止めなどという言葉を聴いたことがありますか。 打太刀なら、出きる限り相手の切る場所に完全に届くように切る。 仕太刀は出きる限りからだの近くで打太刀をかわし、打ち込みを出きる限り切る目標 に近く刃を止める練習をする。 但し、これは余程気をつけてやらないと怪我の元。だから集中力が養え、間合も養え る、真剣みが身に付くでしょう。 おまけに怖いから、度胸、胆力、見切りが養える。おまけに、溜めと言うことも理解 出来る様になります。良い事ずくめだよ。

A太刀の形5本目、6本目、小太刀、1.2にすりあげの技がありますよね。 このすりあげを出きる限り、音を出さないようにする、カチンと音がするのは下手な 証拠。 正しいすりあげは、すれる音だけで、カチンとぶつかる音はしないはず。 これは素晴らしい手の内の勉強になりますよ。

B昔、仲良しの範士八段同士が形を打ちました。 其の時に、今日は俺の勝ちだ、今日は俺が押された、と言われていました。何の事だ か解らないまま聞いていました。後で其の答えを聞いたら、 形は形の上で、上の人が下の人に勝ち方を教えるので、見た目は、勝ち負けが有る。 だがお互いに真剣に形を打てば、当然気位と気位の争いになる。気と気の真剣勝負。

だから、お互いが始めた場所を確り覚えておく、形が終わった時点で、どちらが、ど れだけ移動しているか、必ず中心に戻る事になっているが、わざと其処に戻るのでは なく、お互いが自然にやり、どの位置に戻るかで、 気位の争いが見えてくる、負けたほうは後ろに下がっている。 但しこれは意固地になって前に出て形を打つのは逆効果なので、あくまでお互いが、 直心、素直な心、正しい心でやらなければ意味が無い。

このお二人後で九段に成られました。

こんなところを意識すると形が変わってきますよ。 但しこの稽古法は全て自分の責任においてお稽古ください。 未熟な形は危険が伴いますので、気をつけておやりください。

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中村天風師の教え 賀来俊彦 範士

 信念と奇跡。

これは2006年京都で範士から渡されたノートめもに書かれていたものである。 台は信念と奇跡。奇跡と書かれていた。熊は、天風師の本の中から、呼吸法、心の調 整方など、クンパハカ、等等、多くのことを学び、今も尚、勉強させていただいてい ます。若し皆さんも時間があれば、中村天風著、成功への実現を読まれる事をお勧め いたします。この中で野教え、呼吸法は、剣道に非常に役立つ。

この中村天風師の教えは、森島建夫範士、わが親父、羽賀忠利範士、原田源治範士、 賀来俊彦範士の先生方も愛読されて、勉強しておられます。

@ 信念と奇跡

吾は今わが心の奥深くに奇跡を行い得る、神秘の力の潜在する事を悟り得た。 そして人はこの力をよりよく活用する事により、人の値打ちが決定される事を悟り得た。

そして今私はこの尊い現実を悟って、わがいのちの中に輝く尊い光を自覚する。 同時に過去の一切の無価値より解脱して、格調高き人生えと、いままさによみがえる 感激とよろこびにわが心は炎ともえたつ。

そもや自己を作る物は自己である。そして自己を正しく作るには、何をおいても、自 己を正しく律する事である。 しかも自己を正しく律せんと欲せば、ただ偏えに信念を基盤とする連想の観念を、常 住わが心に中に厳かに確保せざるべからず。

かるが故に、いまこんにちからは、いかなる時にもこの心的態度を不断のものとし て、わがいのちを正しく作る自律基盤の力を、かりそめにも緩めざらんことを、慎ま しやかに己の心としよう。

A 信念

信念それは人生を動かす羅針盤の如き尊い物である。 したがって、信念無き人生は、丁度長途の航海の出来ないボロ船のようなものである。 かるが故に、わたしは心理に対してはいつも純真な気持ちで信じよう。否 信ずる努力をしよう。

もしも 疑ごうて居る様な心もちが少しでもあるならば、それは私の人生を汚そうと する悪魔が、魔の手を伸ばして、私の人生の土台石を盗もうとしているのだと気をつけよう。

追伸、蛇足、熊めには三つの尊敬する天があり、其の一つが大宇宙の真理、真の 天。中村天風、それに、羽賀忠利(楽天)雅号、です。それで、其の天を敬う心から、熊の雅号を「天敬」と させて頂きました。

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神秘の力 賀来俊彦 範士

2006年の京都大会、朝稽古の後ご挨拶に行き、昨年お話が聞けなかったので是非今年は、とおねだりをしておいた。

そして朝稽古がを終え、行きつけの道具屋に道具を置きに行ったら、其処の後ろの石碑の処で先生が腰掛けて待っておられた。 そして一言。「お前は良い時に来たな、俺が今悟りを開いたばかりの時に聞きに来た。これは神秘である。 剣道はな、全て神秘で出来ている。打つのも神秘、受けるのも神秘。打たれるのも又神秘なのだ。」

コノ先生、必ず狐につままれたようなお話から、本題に入る。前回は万有引力IN剣道てな話から、本題に入った。 それが又非常に面白い。そして非常に為になる。

先生は、中村天風師の信奉者でもある。偶然。熊も羽賀の親父からその人の著書を頂、人生最大の難関を乗り切る事が出来た。 だから、信奉者の一人と言って良いだろう。先生は其の中村天風師の教えの中から、抜粋した、メモを書いて熊に渡された。 そして、今の剣道界おかしな方向に行きよるから、お前が正しい事を伝える役目をしてくれ。 私ら古い剣道家が何を思い何を考えているか、今の人々に伝えて欲しいと頼まれた。

先ず剣道は神秘について。先生の考えを伝えたい。

「あんな、稽古の中でやね、相手が打ってきよるやろ、お前それを一々見てから、どうしたらエエか考えて打ちよるか?」

(いいえ、殆ど無意識の間に反応して、何か方策を施していますね)

「そやろ、自分で何も意識しとらんのに、体が勝手に動きよる。な、打突にしてからがそうや、アット、想うまもなく打ってしもとるやろ。」

(ハイそうですね、考えていたら打つことは出来ません)

「だからやね、剣道は神秘そのものだということや、誰の命令でもなく、意識の中にすらない、自然に行動がでてきよる。 コレが神秘でなくて、何が神秘や、お前コノ話聞いたら強くなるで〜」

(先生、そんな、聞いただけで、強く成るんですか?)

「そや、コレを聞いて、神秘やと言う観念がでけたら、つようなる。そして、又其の神秘と相交わるように、成りきれるように成ったらつようなる」

「神秘、詰まり人間本来の姿、コレも神秘や、存在そのものが神秘やねん。なあ〜、人間何処から来たか、答えられるか、 普通の人なら言うやろう、おっかさんのおなからや言うて、では其の先は、おとっあんの、腹からや、な。 ソンなら其の先は、又其の先は、言うて行ったら、際限なくこれは神秘やとしか言いようが無くなる。」

「だから、自分は神秘の中で生かされ、神秘で行動しとるわけや。神秘そのもの。それが解ったら、無心の打ち、捨て身の打ち、 なんてこと言わんでも解るようになる。」

今年も、う〜ん〜〜とうなされてしまいました。

少し、皆さんイわかりにくい点が在るかとも思いますので、熊なりに、解説をつけると、

神秘=つまり全て自然のままに、何の汚れも無い心で、その場の状況に自然に対応していれば、自ずと、体が自然に働き勝ちを得ていると言う事。 コレこそが無心、無念夢想の最高の境地なのだと言う事、いや其の観念すら恐らく無い状態の、境地なのだろうと考えます。

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相手と和する相戦い 羽賀忠利 範士

今年の京都、武講同窓会の稽古で、熊を叩きに来た人を叩いたら、稽古を見た、親父からおしかりを受けた。
「八段に成ったら相手と和する稽古をしなさいと。」そこは、話だけを聞いていたが、静岡の藤枝の養心会の稽古の折、手書きの書面を渡された。
其処には3つの教えが毛筆で書かれていた。其の中の一つ。鬼一法眼が源義経に当てた手紙に曰く。

来則迎去則送対則和 五五十 ニ八十 一九十 以是可和察虚實職陰伏 大絶方処入細入徹塵殺活在機変化応時 臨事莫動心矣 
寿永三年二月 鬼一法眼 源九郎殿

訳すれば
「相手がやってくれば、すなわちそれを迎え受け、相手が去っていけば、すなわちそれを見送る。
相手と我と、双方向かって相対すれば、相和する。この自然の調和と、円満な心のバランス。
それを、数字で表現する成れば、彼が五、我が五。この五と五を加えれば十と成る。

ニと八。一と九。この二つの数を加えればすべて十となる。この十と言う数字は充実円満。しかも、調和とバランスを示す「和」の数字である。

ところが、ニとニ、八と八を加えれば、四となり十六となる。前者は十に足らず、後者は十を超過する。
相和して十となる彼と我。常に、この十となる心と形こそ円満充実。しかも、調和とバランスを持つ大切な「和」の心であり、「和」の姿である。
この自然の理にかなう、心のバランスを持てばこそ、明鏡止水、相手の、虚と実が、正しく観察され、あらゆる、陰伏(駆け引き)がかくれなく識別
される。」

熊の訳=詰まり何事も遣り過ぎてはいけないし、不足しても駄目。打ったり打たれたり、もちつ、もたれつ、相手と和する気持ちで相手と対すれば、全てが主導権を持って上手く使える。でも熊はすぐ、相手の行儀が悪いとカチンと来る。未熟未熟。死ぬまで直るかな?

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冴え 羽賀忠利 範士

剣道の打突では、「冴えた打ち」が求められます。 「冴え」と言うのは竹刀の物打ちが、打突部位に当たる瞬間の鋭さと強さの事です。

剣道でいう「一本」とはこの冴えた打ちのことで、これが無ければいくら当たったと しても中々一本とは認められません。 冴えた打ちを心掛ける為には次の事に気をつけて稽古に励んでください。

1. 左手を鍛える事。
 左手で、竹刀を振り、打つ瞬間(空間打突でも、素振りでも)に、小指を確り締め る。柄頭が手のひらの中で滑るのはよくない。

2. 右手と、左手のテコの応用を確り身につけること。
  左手は竹刀を引き降ろす切り手。右手は竹刀の物打ちを打突部位に正確に到達させるために、伸ばす押し手。左右の反作用を助けるために肩、肘、手首、指、全ての関節を柔らかく使う事。

3. 竹刀は重いものを振るように力を入れて振るのではなく、筋肉を柔らかく楽にし て、振る感覚を覚える事。
 
物打ちで、打つ瞬間、両手の小指を意識的に締める。

4. 竹刀は風を切るように振る事。
  何時も軽く握って、軽く振る癖を付けてください。

初心者の人と稽古をすると、大変痛い思いをする事がある。 打たれまいとする、恐怖感と、ある種の興奮状態で打つために必要以上の力みが生 じ、力一杯打つためで、このような打ちには全く冴えがありません。単なる強い痛い 打ちと、冴えた打ちとは違います。

「力み」は剣道修行上の一番大きな障害です。 ある程度の高段者になっても、右手の力がぬけずづ冴えた打ちが出来ないのは、打たれずに打ちたいと思う観念が、生じさせる力みの結果で、自分で自分の重菜動きを殺す状態に繋がっています。

正に、自分の心こそ、自分の心を迷わす自分の心であって、自分の心に自分で言い聞 かせ、自分の心に自分で迷わない様にすることが大切です。誰でも、素振りや、基本打ちの時に、手の内がそんなに硬くならずに、冴えたうち が出来るのに、実際稽古の段階で、硬くなってしまうのは何故でしょう。 其処のところを良く良く考えて見てください、答えは自ずと見えてきます。

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足捌きと体捌き 羽賀忠利 範士

最近の剣道は、縦の剣道とよく言われる。 これは試合偏重の弊害から打突のスピードを重要視するあまり、間合いの取り方に前 後の動きだけが多く用いられるようになった為であろう。 確かにスピードとパワーを主体にして、先を懸け遠い間合いから思い切り捨てて打つ 打突には魅了するものがある。

しかし、最近はお目にかかれないが、昔の先生方の中には、見事な足捌きで、縦、 横、斜めと道場の床の上をすべる様に縦横無尽に動いて相手を捌かれる先生方をたく さん見た。 特に、総じて、小柄な先生方は、足の動きが良いようにお見受けする。 私の師匠、羽賀先生もまた素晴らしい足捌きをされた。これはご本人の研究もさるこ とながら、中山博道先生の影響を強く受けられたとの由。

博道先生も小柄な方で在ったが、お弟子さんに稽古をつける時、他の先生方の1.5倍 は速かったそうです。 他の先生が10人使われたとしたら、博道先生は15人使われたそうです。また、博道先 生は合気道の開祖、 植芝盛平先生と入魂の間柄であり、其の縁からお弟子の中島五郎蔵、羽賀準一、中倉 清などの先生方も植芝家に出入りされていた。で、体捌きは合気道から学ばれた点が 大きかった。其の捌きは、羽賀準一先生から、弟の忠利先生にも受け継がれた。それ は見事な足捌きで、まるでダンスを踊るかの如き足捌きでした。

忠利先生から伺った指導の中に、足捌きの大きなヒントがあると思うので、紹介しま す。

1.稽古中、踵は両方とも絶対床に付けない。(踵が付くと居付き易い)

2.足捌きといえば、殆ど右足から動き始めるが、左足から動かす方法を知る事。

3.前後の送り足は、誰でも使うが、開き足、歩み足をうまく使える人は少ない。

4.子供の打ち込みの元立ちになった時は、足捌きを稽古する絶好のチャンス。

5.右足を踏み込むことが気剣体の一致を作ると、思っている人が多いが、左足でも 十分踏み込めるし、気剣体の一致も作れる。左上段は、左足で打ち込んでいる。

6.絶えず腰を中心に、移動を心がける。

以上、よく口にされ、また実際に範を示して、頂いたことを列記して見ました。 足捌き、体捌きに、こだわりを持って、稽古するのも面白いと思います。特に小柄な 人は大きな武器になります。

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半身の矯正 榊原 正 範士

熊画25〜6歳のころ、ある日、範士の会話。

範士「熊、家で毎日素振りをしているか」
熊 (いいえ、天井が低いもので、素振りはできません)
範士「それは言い訳だろう、正座して素振りをすれば、天井にぶつからないよ」
熊 (アッ、そうですね、明日からやります。)
範士「正座で素振りをすることは、半身の矯正に実に役立つ。正座の姿勢では半身に なれないからな。」
熊 (そうですね、判りました、それで何本くらい素振りをすればいいでしょう。)
範士「毎朝、寝起きに、布団に正座して、100〜150本、それで、竹刀の握り、肩の運 動、腹筋、背筋が鍛えられる。、高々2〜3分だ。枕元に竹刀を置いて寝れば、習慣 になる。一年も続ければかなり楽になるぞ。」

これを実践することで、熊は、副産物を得ることも発見しました。寝ぼけ眼の体に 自然に渇を入れることになり、溌剌とした毎日が送れるようになりました。

そして、これを模擬刀でやることにより、正しい竹刀の握りと手の内を身につけ る事が出来ました。 毎朝高々2分の稽古、負担にならず、確実に効果が出てきます。皆さんにもお勧 めします。

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五戒 小川忠太郎 範士九段

この事を書くのは非常に面映く、辛い物がある。自分が出来るかと問われれば、NOとしか答えられない。 が、しかし、教えられた貴重な教えは、熊が出来る出来ないにかかわらず、ご紹介しな ければならない。 熊が出来なくともこのサイトを御所見の賢人の方々には容易なる事かも知れないか らだ。 自分への反省をも含めて記載させていただく。

    1 嘘をついてはいけない

    2 怠けてはいけない

    3 遣りっ放しにしてはいけない

    4 わがままを言ってはいけな い

    5 人に迷惑を掛けてはいけない

ものすごく当たり前で、簡単なことのようですが、熊には大変難しい。 小川先生が曰く、「これが出来た初めて人間なのです」と・・・・。 この言葉が、小川先生の口から発せられたとき、若い熊は、そんなことできる筈がな いと思ったものだ。 まだ、人間以下だと言うことか・・・。だが出来ないまでも努力はしたいと思う昨今 です。

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冗談 羽賀忠利  範士

羽賀先生は本当に博識です。又、本当に良く本を読んでおられ、絶えず勉強を成され ています。 そして時々、上手い落ちの有る冗談を言う事もあれば、笑えない、サム〜イ冗談も飛 ばす事が有る。 その中で幾つか成るほどと感じたものを紹介いたします。

サム〜イ例。

三磨の位=秋刀魚の暗い(変換ミス)

黒板に大きな丸を書いて、三箇所に点を打ち、「これが伝書の極意だそうですが、こ れでは、テンデ解らん。」

柳生心陰流の伝書の中に、○に三箇所点が打って在り、口伝と記されて居るそうで す。 これを先生称して、点で解らん。といわれた時、誰も笑いませんでした。 これは、三磨の位について述べて有る。つまり、正しく学び、正しく工夫をして、 正しく体を掛けて習得する。 このことの繰り返しが上達に繋がるとの意味なのだそうですが、皆意味が解らんかっ たのかな〜。

自己=我

「自分の姿を鏡に映し、鏡の前で、がを取れば、全ての人は神になる。」

カガミ-ガ=カミ=神

剣道で、打たれたくないけど、打ちたい。打たれた後に打ち返してくる失礼な剣道 人を良く見かけます。 打たれたことを認めたくない=我の固まり。そんな人は自分の行動や心を、カガミに 写して見ると良いでしょう。 醜い顔と心をしていますよ。その鏡の前で反省して、自我を取り去れば、神のよう な神々しい顔になります。

チャンス=機会を捉える

西洋のことわざに曰く、「チャンスの女神に後ろ髪が無い。」前髪だけしかないそう です。 そんなのは、女神じゃなくてお化けだけども、チャンスは後からでは掴めない。マエ で掴みなさい。 私は、前髪が無いから、どうにも掴めないでしょう。これは稽古の量で前髪を掴まれ ないように成りました。 これ以上掴まれたら本当に全部なくなる。これには皆爆笑でした。

人間の粋

静岡に江戸の昔、白隠と言う禅の高僧が居た。山岡鉄舟の禅の先生と言うべき人。 この白隠さんが粋な事を言っています。

「お富士さん 雲の衣を脱ぎゃしゃんせ、雪の肌へが見とうござんす」

禅のお坊さんでもこんな粋な人が居る、人間何も四角四面が、真面目ではありません よ。要はバランスです。偏ってはいけません。

書けばまだまだ有るのですが、今回はこの辺で。

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子供の指導 奥村京助 範士

奥山範士がカナダに来られたのはトロントの鎌田先生が招聘されての事でした。そ の時、岩谷範士、伊藤教士が同行されて、筆舌に尽くせないご指導を頂きました。丁度その頃、奥山先生は、剣道雑誌に子供の指導法を発表されて居られました。 そこで熊が先生に聞きました。

先生、子供の指導で一番大切ななのは?とお尋ねしたたら、 「一を叱って、八ほめて、後は見逃す余裕かな
成るほどと納得しました。

では、技術指導で心がけて居られる事は? 「口で教えて、遣って見せ、後は気長に待つ心
繰り返し、繰り返し遣って見せ。子供ができるようになるまで、焦らない事。

では、先生、子供を強くする方法は? 「負けた子供をほめてやれ、そうすりゃ、試合が上手くなる
負けた子供の良い所を見つける力、本当の指導力が問われる所です。

ちゃんと七五調ででまとめて居られる、粋ですね、さすがですね。


それでは、一般の人の稽古で、気をつけて居られる点はどんな処でしょう。
「一般の人の稽古で大切なのは、戦う気迫です。気迫の無い稽古は上達しません。」

ではその気迫を出させるためにはどんな指導をされますか。
1「大きな声を出させる事。腹の底からめまいがするくらいに大声をださせる」

2「思い切った大技を使う。捨て身の大技を使う事により、勢いが出てくる」大技は相手の意表をつき、又、大技を使うための度胸が出来る。

3「喧嘩腰でやる。突かたら突き返す、打たれたら、打ち返す。激しい技の応酬」喧嘩腰でやる事により、真剣みが、出て来る。少々荒々しい稽古の方が気迫が出や すい。

4「明るく、張り切ってやる。張り切っていれば、積極性が出てくる。」打った、打たれたはその場限り、頭に残さない。頭に残せば、稽古が暗くなる。

5「自分で自分の息を上げる稽古をする。先に掛かり、一歩も引かない。」自分で先、先と攻めて出て行く。攻められて,息を上げられるのとは、まったく違 う。

こんな所を、気をつけて、稽古に取り組めば、稽古は良くなります。勿論、基本打 ち、技の練習、理合いの研究は絶対おろそかにしては行けません。

稽古で熊は完全に範士に翻弄されてしまいました。技のデパートかと思えるくらい、 片手面、片手突き、被き技 てんてこ舞いで息も絶え絶えでした。昔の先生は、技も多彩で型にははまらない先 生が多かった。

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審査の心得 森島健男 範士九段

森島先生と初めてお会いしたのは、富山で全日本剣道連盟の伝達講習会の時でした。熊がまだ26才くらい。

その時一番初めに掛からせて頂いたのですが、何をしても触れさせて頂けない。処が、何が如何間違ったか、 一本、綺麗に面が入った。稽古後、ご挨拶に伺うと、「貴方は県警の方ですか」と聞かれたので、「いいえ、町道場で稽古しています」と答えた処、「けれんみの無い 良い面をお持ちですね」と言われたので、穴にも入りたい気持ちでした。その時、私の横で挨拶に出ておられた熊の師匠、村雲先生(国士舘の森島先生の後輩)が、「先輩、私の教え子です」と紹介いただいた。すると「おおう、そうか、村雲の弟子か、良い弟子を持ったな」 と言われたので、本当に恐縮してしまいました。

それ以後、年賀状だけのご挨拶でしたが、七段を受験するために帰国した時、おり良く韓国で行われる世界大会の審判講習会が明治神宮であり、オブザバーとして参加させて頂いた。その時、講師として森島先生が出ておられ、再度ご指導に預かる機会を得ました。その講習会の始まる前、ご挨拶に伺い、富山での 思い出話をさせて頂きましたら、覚えておれ、しばし歓談をさせていただきました。

そんな事があり、その後も賀状だけの挨拶でしたが、熊が2度八段審査の一時を通過 して、4度目の挑戦の時、誰に聞かれたのか、どこかに私の記憶があったのか、暖かい、お手紙を頂きました。

内容は審査についてのアドバイスでした、内容をご披露させて頂きます。

審査は一人三分である(実は2分である)。 三分も有ると思えば余裕が出てくる。同じ三分でも三分しかないと思うと、余裕が無 くなる物である。 三分も有ると思って余裕を持って挑みなさい。 それと、どうしても合格しなければ成らないと思うのではなく、落ちても良いと開き直って行きなさい。 合格しようと思うと、大胆さに欠けることに成る。落ちてもいいと思うと、余裕が出 てくるものです。

そして、「遠地、カナダでの日頃の精進敬服に値する」と結んでありました。 途轍もなく、恥ずかしい未熟者ですが、熊如き、田舎剣士にこの心温まる、思いをは せて頂ける、幸せをかみ締めました。

その後、東京武道館で行われた全剣連の合同稽古会でお願いする事もありました が、何をどうこうしても 大きな岩に跳ね返されるような感覚だけが残りました。偉大な先生のお言葉をいただけた熊は幸せ者です。

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出端面 野正明正、豊稔 両範士

此処に登場するのは、野正明正範士と豊稔範士お二方である。 熊が八段を目指して全国を回っていた頃、九州小倉で、野正明正範士にお稽古を頂きに 行った。 明正範士とは武講同窓会で、ご指導を得てる関係で、ご無理をお願いしてお稽古を頂 いた。 もう一人の、豊稔範士は世界大会フランスで審判を共にさせていただいた関係で、お 近づきになり、 東京に御住まいの先生に、三菱道場と、京都大会でお稽古を頂いている。お二人はご 兄弟である。

お二方が共通で、ご指導頂くのは始めから最後まで面打ちだけである。 篭手や胴を打つと、首を横に振られる。徹底的に面打ちである。 それも出端面。先生が一寸間を詰められる、その出端に大きく面に飛ぶのである。

その機会が遅すぎてもダメ、早すぎてもダメ。間を詰める、そのツの字を打たなけれ ばご納得を得られない。 それも徹底的にやらされる。出端の面は、色も無く、カズキも無くただ一直線に大き く中心を割って打たなければ成らない。色や、起こりや、カズキが有ると、範士の剣 先が容赦なく、此方の喉を鋭く突いてこられる。 だから、必然的に、良い面うちと、ソウでない面うちが、離反されてくる。

このお稽古は、京都で今だに続いている。 今年、(2005)の京都で、4年ぶりに範士にお目にかかり、お稽古を頂いた。 八段位に成っても、その稽古は変わらない。ただ、以前と変わった事は、今までは、 間を詰める、ツの字(動作の起こり)を打って居たのが、今年は途中から、攻め合い をきちっとした上での、出端の面に移行したことだ。 要するに、八段位に成れば、「気の起こりを捕らえよ」とお教え頂いているのだと解 釈した。

しかし不思議に、お二方とも同じ教授法でご指導を頂いている。 おそらくお二方も若かりし頃、お二人の先生から、徹底した出端面で、修行をさせら れたに違いない。 正しい出端面が打てるか如何か、私は、八段の鍵はここに有ると考えています。 お二方ともそれが鍵だと解っておられるからこそ、徹底して出端面にこだわっ てご指導しておられる物と思う。

ありがたい事です。

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覚悟(裏話) 楢崎正彦 範士

中西範士と、楢崎範士、国士舘の同期。カナダでお世話させていただいた時、お二人 の雑談で面白い話を聞いた。あの大先生方でも、こんな粋な話をされるので、ご紹介したい。

楢「中西、俺は○野田少尉とは、中野学校で同期。彼が南方で発見されて、帰国。彼が嫁さんを欲しいと言った。しかしその条件が何と、相手の方は絶対処女でなければ ならないと。○野田が言うには、俺は正真正銘の、童貞だから、如何してもその線は 譲れないのだ、と言う訳だ。それはそうだろう、南方のジャングルで、戦後30年余りもゲリラ戦をやってきた。その男に女が居るはずが無い。俺は困ってしまったよ。見合い写真は沢山用意もできるし、彼はなんと言っても時に人。話は沢山あるが、40半ばを過ぎて処女を探せと言われてもナ〜」

中「お見合いの相手の方々に、いちいち聞くわけにも行かんしな。」

楢「そこで、家内にそのことを打ち明けたら、大丈夫、私が探します。と言う訳で、上手く紹介できた。」

中「へ!探せば居るもんだな〜」

楢「イヤイヤ、それが中々苦労したんだよ。笑。あいつの、理想が高すぎて(笑)、でも何とか纏まった」

中「良い事をしたじゃないか。」

楢「俺たち中野学校の生徒は生きながら命を捨てていたから。彼の思いを遂げさせてやりたいと思ってね。」

中「確か日本舞踊の先生だとか?」

楢「ソウ、だけど彼女も中々の人で、男嫌いで有名な人だったらしい。下らない男性には見向きもしないで、独身を貫いてきた。どちらかと言えば、彼女も浮世離れしていた」

中「それはソウだろう。でなければ、中々○野田さんの奥さんは務まらない。」

楢「でナ、あいつ何処で仕入れてきたのか、面白い話をした。昔々、神様の下へ、全 ての動物が子作りについて相談に行った。だから在る動物は、一年に一度。在る動物 は一年に二度シーズンがある。 処が、ねずみが神様の所へ聞きに行っている時に、遅れていった人間があわてて行った為に、障子の影で神のお声を自分へのもの、と誤解して聞いてしまった。『何時でも好きな時にせよ』と。だから、鼠と人間だけが、シーズンオフが無い。」

皆で爆笑。(本当に、車の中は大爆笑に成りました。)

中「しかし○野田さんはどんな気持ちで、ジャングル生活をしていたのだろうか」

楢「戦いだよ、戦い。彼の頭の中には戦いしかなかった。いつか日本が盛り返してくる、それを信じていた。」

中「それだけだけで、あそこまでの行動が人間に取れるものだろうか?今の世の中では想像が出来ん」

楢「俺でもソウだよ。現代の安全で平和な世界に慕ってしまったら、昔を簡単に忘れてしまう。」

中「覚悟が出来ていたんだろうな、何時でも死ねる。」

楢「いやそうとは違うらしい、生き抜くことが、彼の覚悟だったらしい。どんな苦境 に立ってでも、生き抜くことが。彼の覚悟で在ったらしい。侍で有る以上、最後の最後まで戦い続ける。刀が折れようと、鉄砲玉が尽きようと、死ぬまで戦う。そのためには何でもやる。だから俺 が想像していた以上にあいつは世間に明るかった。情報を集めていたんだな。」

中「では何故戦争の終結を知らずに居たのかな?」

楢「それは、朝鮮戦争に原因が有るらしい。」

中「と言うと」

楢「日本が敗北した時に、米軍がちらしを撒いて、戦争終結と投降を促した。しか し、其処は中野学校。簡単 には敵を信じない。ソウコウしている間に、朝鮮戦争が始まった。戦闘機がどんどん飛んでいく。おまけのその後は、ベトナム戦争で戦闘機が空を飛ぶ。其れで完全に戦争は続い ていると彼は思っていた。

中「人間の覚悟とはすざましい者が有るんだな。」

楢「そう、人間覚悟が出来ていれば、何だって出来る。○野田がそれを証明した。」

中「ソウか、覚悟か。今の俺たち一般社会人は、その覚悟が出来ていないのかもしれんナ」

楢「平和になりすぎて緊張感が無くなった。時代の移り変わりどうにも止まらない。仕方が無い事か。」

この話。非常に考えさせられました。

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自己満足は敵 中西 康 範士

かなり以前、中西範士が、剣道日本で京都の立会いを褒められた記事が出た。 口頭ガンの術後初めての立会いでの事だったらしい。命がけの生還の後の立会い。 お互いに一打突、も出さず、お互いに気攻めの立会いで、終始たらしい。 範士ご自身も、無心で立ち会われたと、お話されていたので、その立会いがすばらし いものであったに違いない。

処が、その年の全日本選手権を観戦に日本武道館に出向かれた時、用足しに席を立た れたときに、後ろから、背中をコツコツと叩かれた御仁が有った。小川忠太郎範士そ の人である。中西範士に取っては、国士舘大学時代の恩師。小川忠太郎範士がとつと つと言われたそうな。

「中西君、人に褒められて、喜んでいるようでは、まだまだですよ。剣道なんてもの は、自分で良いと思ったら最後、こんなにつまらないものは無い。自分の不足を、死 ぬまで探し続け、埋めていくのが剣道の修行。自分で良いと思ったら終わりですよ」 と諭されたらしい。中西範士が、「60を過ぎた俺に説教されるのだから、まいった よ」 と苦笑いをされていた。

「でもナ、ありがたい事だよ、恩師と言う物は、何時まで も、幾つになっても心に留めておいて下される。あの方を見ていると、自分の未熟を かみ締めさせられる。」と話されていた。

その後、数年たって、京都大会で、中西範士と、京都の、丸田範士が立会いをされた のを拝見できた。 その年、京都で、世界大会が模様された年。だと記憶にある。お互いに一打もせず、 緊張感溢れる、 立会いで有った。

その年、お二人とも剣道九段に昇段された。 中西範士がその後語られた。

「あの時、剣日の記事に好い気になり、気持ちが緩んで いたら、今日の自分は無かった。自己満足は、剣道最大の敵だね。」

この言葉が、熊 の脳裏をいつも掠めて居ます。

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審判の技法 小沼宏至 範士

剣道ある程度段を持つと、審判に立たされる事が多い。審判の一番重要課題は正しい一本の判定である事は異論が無かろう。しかし、その一本の判定基準は、その人の剣道における稽古の実力以上の審判は出来ないのである。これは肝に銘じて欲しい。

熊が、過去三回世界大会の審判をおうせ遣った時、その講習会の都度、範士に事細かに注意されたりご指導いただいたりした。
その事を皆さんの参考に成ればと思い、書くことにした。

1 立ち姿=威厳、風格のある立姿、俗に言うキョウツケの姿勢である。踵を45度につけて姿勢を正す。審判旗は体側に下げ持つ。
この審判旗体側に添えて持つ人が少ない。大抵が斜めに持ち、旗の頭が体の前に出る。体側とは、ズボンの横の縫い目に沿う事。
その為には、旗を持つ両手の親指をズボンに沿わせ、手首を少し内側にひねる。つまり手の甲を前に向けるようにすれば良い。

2 移動=審判員は三名心を合わせ必ず試合者が三人の作る三角形の中で試合を行って居なければ成らない。その為には試合者の 移動に応じて、試合者の打突の見やすい場所へ移動をしなければ成らない。その時初めの一歩を大きく踏み出して移動を行う。
移動中は、できる限り旗を振らない、体側に置いたまま、移動をし終わったら又、キョウツケの姿勢に戻る。休めの姿勢の人が多い。
気持ちの充実していない審判が良い審判が出来るはずが無い。

3 旗の表示=旗は腕と手首と旗が一直線になるように表示する。
1本の表示の場合、旗を45度斜め上に揚げる。その時旗は完全に体側でなく、少し旗を体の前に出しておく、それで自分があげた旗 が、赤,白間違いが無いか確かめられる。表示で、手首が曲がり、腕と旗が一直線に成っていない人が多い。親指を下にして手の甲を 上に向け、人差し指を旗の棒に沿えると旗と腕が一直線にしやすい。必ず一直線に成るように。

反則の表示の場合も同じ要領で行う。又、止めの表示は腕を曲げないで,真っ直ぐに,上に上げ、右手と左手が必ず平行に成るように。
これは別れの表示の時も同じ、腕は一直線に伸ばし必ず平行を保つ事。引き分けの表示は頭上前方で赤旗を前に旗を交差させる。
有効打突を認めない場合、赤旗をうえにして、体の前方下で、最低三度はすばやく交差させて、表示する。
反則の告知をする場合。片足を前に出し選手に先刻をしている動作をよく見かけるが、必ず足をそろえ、キョツケの姿勢で行う事。

 審判にでる前、鏡で服装、旗の揚げる角度自分の姿を映してみてみること。
* 審判にでる時は、体に光物は身につけては成らない。ジャケットの金ボタン。ネクタイピン。腕時計は勿論の事。
* 審判にでる前日には必ず試合、審判規則、審判法に目を通し、確認を取る事。

等など、まだまだ細かい点はたくさんありますが、基本的にこれ位の事は、最低限守ってください。

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有声の勢〜無声の勢 羽賀忠利 範士

若いうちは、大きな声を腹から出して、気勢良く掛からねばならない。しかし、稽古が出来るに従い、声が潜み、腹から沸きあがるような勢いで攻め立てなければならない。

若いうちに大きなかけ声を掛けることをしっかりやっておかないと、無声の勢には到達できないよ。大きな掛け声を掛けることにより、知らず知らずに気が練れる。勢いが出てくる。

これも上達の段階だね。七段の上〜八段くらいになったら、無声の勢の意識して勉強しなさい。

熊はまだ、打突の勝ち鬨大きな声で稽古をしていますが、立ち上がりの攻めは無声を意識して稽古をしています。

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相気をはずす 堀口 清 範士

先生にお稽古をお願いして時に、一生懸命に掛かれば掛かるほど、フワーとした真綿に包まれるような気で対応されたことがあり、不思議に思い稽古後、先生にお訊ねしたことがあります。

「先生、我々若い者がガンガン掛かってきてもビクともされませんね。それはどうしてそいうことが出来るのですか。」

「若い人は勢いがあります。だからその勢いにまともに受けていてはこちらが持ちません。だから、相気で外す。そして、その相手の勢いを逆に利用する。」

「相気を外すとは具体的にどのようにするのですか?」

「相手の人と手と手を合わせて、お互いに押してごらん。お互いに力が要ります。これは対です。しかし、その押している一方のの人が力を抜いたとします。そうすると、もう一方の押している人は前のめりになるでしょう。これが外すです。

それを気でやる。気で攻めておいて、対にしておいて、こちらが気を緩める、そうすると相手が飛び出す。其処を捕らえる。要するに、相手を引き出す。これですよ。

ただ、あなた方はまだ若い、だから今はどんどん攻めて攻めて、かかる稽古を積んで置く事です、其れで、強い攻めの気を養う。その強い攻めの気が出来て居なければ、気を緩める事が出来ない強い気攻めが無いのは、初めから、気が緩んでいるのと同じですからね。これは、有る程度、年が行ってから使うんですよ。

若い内はどんどん掛かる、どんどん攻める。それを確りとやっておく。それが大事です。 50代まではどんどん攻める。60代に成ってそれを考えなさい。」 とお話を頂きました。

ですから熊はいまだにどんどん攻めて稽古をしています。50代最後の仕上げとして。
相気を外す熊にはまだまだ先の事だと思っています。

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受け流しの妙 中西 康 範士

為一堂、中国人が作った総合武道道場の開館式に楢崎範士中西範士羽賀範士と、居合道に山崎誉八段に御出で頂いた。

その時
講習会を開いた。剣道形小太刀のときである。楢崎先生と中西先生が模範を示され、我々が後をなぞらえる形でやる。その時私の小太刀の形に中々OKが出ない、「七段半の形だ」(当時二度八段審査一次を通過していた)と揶揄される始末。

日ごろから形の稽古はしていた積もりで居たので、正直パニック。何処悪い、がどう可笑しいとは教えられないのだ。
何度も何度もやらされる。勿論先生方も見本を何度も示される。その内、親父、羽賀先生に、お前の形は三段も無いと言われる始末。

焦りました。手に汗等と言う生易しい物ではありません。
体中冷汗と脂汗で、ズクズクになる。その内、白熊が熊に言いました。
「音が違う」 (何の) 「小太刀が太刀にぶつかる音が違う。」私の相手をしていた白熊がそれに気付いた。中西先生がニンマリ。

処がどうしたらその音が出るようになるかが分からない。私達がやると、どうしてもカチンと乾いた音がする。先生方は。カシュンと柔らかな音。それも聞き取れるかどうかの小さい音なのだ。 自分たちも鎬で受け流していると思っていたのだが、どうも角度が違う。先生方も鎬で受け流して居られるのだが、その角度が微妙に異なるのだ。 それに気付いた。中西範士は三道範士、物凄い形を打たれる。

サスカツーンの宮岡が聞いた。「先生、どの辺で、どうしたら鎬で受け流す事が、出来るのですか」
中西先生「ん〜、何処で如何のこうの言うてもやな〜、ちょうどええのがちょうどええ、妙は口では言えんのジャ。」

それから必死でした、普段の稽古でも事あるごとに、真剣に形を打っています。今は良い思い出に成っておりますが、10中8〜9回はその音で出来る位になりました。マダマダです。その他にも、形での思い出がたくさんあります。理合いにかなった形、奥が深いですよ。

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金を使え 榊原 正  範士

富山にいた頃、村雲先生と榊原先生を駅まで迎えに出た。ちょうど5月の京都大会が終わり、入梅の本の少し前のこと、村雲先生が八段受験に失敗して、少し気落ちしていたのであろう。村雲先生は刑務教官で、実家は農家、田んぼをかなりお持ちであった。

三〜四月は田おこしで、田んぼの土に足をとられ、足首を痛めておられた。京都が終われば田植えと京都大会を挟み、一番大変なとき。そのお疲れもあったのかもしれない。普段愚痴る事など絶対有り得ない村雲先生が、親友の榊原先生に初めて口説かれた。

「富山の片田舎で相手にも恵まれず、稽古も十分に出来ないから、なかなか八段に通れないですね。」と榊原先生についこぼされた。すると、榊原先生は、「村雲君。金を使いなさい、金を。」すると、村雲先生は、怪訝な顔をされて黙り込んでしまった。

車の中に一瞬嫌な感じの空気が流れたので、運転手の熊は非常に気まずい思いで車の運転をしたことを覚えている。そして、時間が経ち、道場に着き、応接間でお茶を飲んで歓談されていた榊原先生に村雲先生が沈痛な思いの中から重い口を開かれた。高潔な村雲先生にしては忸怩たる思いであったと思います。

「榊原さん、誰にどの位包めばよいのでしょう。どの先生,誰が一番効果がありますか。」と、尋ねた。すると、榊原先生は、顔に怒りをあらわに見せ、「君は何を勘違いしているのだ。もし君がそんなことをしたら、二度と剣道界に顔向けできなくなるぞ。金を使え、ということは、汽車賃と旅館代を使い、君が都会へ出稽古に行けという事だ!!」と、たしなめられた。熊のその席にいたので、一時はどうなることかとひやひやした。

すると、村雲先生が、「アッ、失礼しました。てっきり勘違いをしてしまい、忸怩たる思いでやっと不本意ながら口にしたのです。忘れてください。」と、謝られた。その場はそれで和やかな雰囲気が戻り、その日の稽古は非常に盛り上がったことを覚えている。

しかし、それからが村雲先生の凄い所。同じ金を使うのなら、自分ひとりが出稽古に行っても独りよがりだ。それならばと富山の片田舎に大先生方を招聘すれば、生徒たちと共に学べる。同じ汽車賃を払うのも旅館代を払うのも同じなら、みんなと共に学びたい、と言われて、多くの先生方を富山にお呼びになられた。

榊原正、渡辺敏雄、羽賀忠利、西善延、堀口清、そして、小川忠太郎。一番得をしたのは熊かもしれない。「金を使え」、この言葉は、本当に熊の心の中に「生きた金を使え」として大きく残った。そして熊もまた生きた金を使わせていただき、沢山の先生方にカナダに来ていただいたり、お世話させていただいた。ありがたいことだと感謝している。

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剣先を制す 長島末吉 範士九段

先生がカナダにお見えになられたのは、東京春日にある西山道場の西山進先生とでした。西山先生はその頃、毎年カナダに見えられ、必ず私どもの道場でお稽古を頂きました。

そんなある夏のカナダご旅行の途中、長島先生を伴い、当道場でご指導いただき、長島先生のご紹介頂きました。そして、その折、長島先生にカナダから八段受験を勧められ、その年から八段挑戦が始まりました。

それから、機会あるごとに稽古をつけて頂きましたが、二度目の八段挑戦での京都大会の朝稽古で、真っ先に先生にお願いしたわけですが、熊が打ちに出ようとすると、必ずたたらを踏まされてしまいます。それが不思議でした。

そして、稽古の後、ご挨拶に行きご指導を仰いだ折、次のことを教えられました。「相手の剣先を表裏、裏表と上から軽く押さえ込み剣先を殺す。相手の心が剣先のやり取りに意識が引っかかれば、こちらのもの、その機に討ち取れる。

それと、相手が出ようとしたときに簡単に枕(起こり)を押さえることが出来る。研究しなさい。」とのお教えでした。

稽古中、たたらを踏まされた要因がそこにありました。その後、警視庁で朝稽古の折、梯先生にお願いをすることがありました。さすが警視庁の師弟。梯先生も同じように、剣先が表裏、裏表、と押さえ込んでこられます。全く長島先生と同じ手法で、散々な目に合わされてしまいました。

それ以後、熊も工夫をして、取り入れて見ますが、まだ未熟で逆に自分の心が剣先を押されることに意識が行き、打たれてしまいます。でも、どうかすると無意識にそれが出来る状態のときは、うまく機会に出ることが少し出来るようになりました。

お相手の出端も制することが少し出来るようになってきました。無意識にお相手の剣先を押さえ込むことが出来るまで、習慣をつけなければならないと工夫を続けています。本年(平成17年)京都大会の梯:山田、両先生の立会、梯先生の剣先の使い方、田伐正人氏のサイト、クラブオブ剣道の京都の立会に見ることが出来ます。興味のある方は、是非ご覧になってください。

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書を読め 榊原 正 範士

熊が26歳で剣道を再開して榊原先生に初の年賀状を送った。あまりにも見事(逆)な分(支離滅裂)、書体(ミミズの喧嘩状態)に驚かれたのであろう、次回の稽古会で言われたことが、いまだに心に大きな楔となり生き続けている言葉がある。

「熊、書を読め。剣道バカにはなるな。」

その頃、熊は剣道にはまっていた、というより、焦りに近い感情で稽古をしていたのかもしれない。高校時代の後輩は、大学卒業で五段を受理していた。熊は高校生のときのまま二段。早く追いつこうと毎晩仕事の後、稽古に出歩いた。

凌雲館(村雲先生)、錬成館(臼井先生)、県営武道館(板橋先生)、それに月曜休みだったので、県警機動隊にも出かけた。

稽古が面白くて仕方がなかった。当然、腕前はそれなりに進歩する。たしかにじぶんでも上達の手応えはあったのだが、いかんせん無学文盲。それを心配してのお言葉であったのであろう。

なにしろ、熊の学生としての成績表は総天然色、赤い数字並び、かろうじて体育だけ黒い字、という有様。大体、学校における授業中は就寝時間と勘違いしていた学生生活。成績のよかろうはずがない。いまだに、どうして卒業させて頂いたのか不思議である。

まあ、そんなわけで、榊原先生が心配されたのであろう。言葉静かに諭された。

「熊、剣道はただ強いだけではだめなんだ。教養がなく、下品で何ぼ打ち合いが強くてもだめ。剣風にその人の人格が出る。だから書を読みなさい。」

(どんな本を読んだらいいのでしょう。)

「何でもよい、まず、活字に慣れろ。書を読むことにより人の考え方が分かる。」

(週刊誌でもいいのですか。)

「何でもよい。週刊誌でも小説でも本を読むことが楽しくなるまで読め。」と、諭されました。

ですから、本は今もって、手当たりしだい読み漁っています。しかし、その背景にはもう一つ大きな存在がありました。カナダに毎年来ていただいた羽賀忠利範士、必ず10冊以上の本を日本から持参され、昼の間、読書、参考になる部分を書き抜きそのお話を講演会などに役立たされておられる。そのお姿を目のあたりにしてきたこと。

人前でお話をされてでも、きちっと時間内で話をまとめられること。話に無駄がなく、非常に分かりやすく話される。また、お二人とも素晴らしい文を書かれる。

熊自身も難解な剣道書や参考書なども目を通しても、ある程度理解が出来るまでになり、書を読むことの大切さをしみじみと教えていただきました。知識の宝庫、本は宝の山です。死ぬまで勉強です。

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心の弱さ 中村 毅 教士八段
 

今から何年前のことに成るだろうか。先生との出会いは熊が段の頃、アメリカのシアトルで巡回指導に見えられた先生に、ぼこぼこに打たれ。

その後、七段挑戦で日本を武者修行中、当時、東京の春日に有った、警視庁武道館へ稽古を頂に行った頃からだからかれこれ189年前の事になります。

二人の息子がその後警視庁でご指導をいただいた時に大変お世話になり、我が子のように接していただき、手厚いご指導を頂き、事有るごとに親交を深め合ってきました。

そんな折、武道学園のデモンストレーションが バンクーバーで行われ、其処の師範をしていた先生から、一行を頼むとの手紙を頂いた。デモの、会場探し、チラシの配布、宣伝。全てを手配して、彼らのデモは成功裏に終える事が出来た。

その年の秋、居合道段の審査を受けに日本へ帰国をしたとき、是非、そのときお世話になった、丈道、剣道の方々から、食事会に招待したいと、お誘いを受けた。

その七段審査、熊は新しい日本刀を仕込んでいた。日本刀は一度国外へ持ち出すと、所持許可書が無効になり。帰国の際、検閲で取り調べ、新たな所持許可証の申請。( その場では出来ない)など色々複雑で、手続きが全て終わらないと刀を持ち歩けない。

段受験のときそれで苦労をさせられたので、将来息子に譲る予備の刀として、一振り注文していた。 その刀で受審をしたが。3〜4日間では その刀に慣れる筈も無く見事に失敗。

その前に居合いの審査を受ける話はしてあったので、「審査は如何でした?」と、聞かれ(いや〜、日本刀を新しく仕込んだもので受けたので、バランスが上手く掴めず、不本意な審査になりました。)と申し上げた所、「はあ〜お刀のせいですか?」とやんわりと諭されました。

瞬間、ドカッと脳天を割られたかと思える位、心に衝撃を受けました。 そのときほど自分の未熟さも省みず、刀のせいにしたしまった自分の馬鹿さ愚かさを知り情けないやらはずかしいやら。・・・・・・

言葉は柔らかいが、鋭く心をえぐる慈愛に満ちたそのご教導。彼ら専門家はいかに自分に厳しく道への精進を続けている物なのか、垣間見る思いをし、ますます彼への信頼を深く心に刻んだしだいです。すばらしい剣兄を亡くし、慙愧に耐えません。

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切れる剣道 羽賀忠利  範士

親父、羽賀忠利の事を少なからず知る人は、切る剣道、切れる剣道と言う事に少なからず興味をお持ちになったことと思う。

剣道日本の誌上でも発表された事が在るので、ご記憶の方も多いと思う。熊自身がこの事に触れて書くのは、未熟ゆえに、少しはばかられる。

しかし皆様の失笑を覚悟の上で書かないと、話が前に進まないので、間違いがあれば親父が叱責するであろうから、それは覚悟の上(慣れてしまってる、いかんな〜)なので、あえて恥をかく覚悟を決めて、書くことにする。

切る、と言う言葉で皆様は、すぐ人殺し、殺人剣をを連想されて、あまり良い心象をもたれないかも知れない。しかし、剣道と言うからには、剣道の剣=剣(ツルギ)=刀=竹刀であるはずであるから、剣が=竹刀であるとするならば、竹刀操作も出来るだけ。刀(剣)の操作に近付ける必要であるという考え方なのである。

親父が言いたい切ると言う事は、何もぶった切る、殺す、殺人剣などの殺伐としたものでなく、正しい刃筋と、手の内の冴え、のことを言わんとしている 訳でありますので、くれぐれも誤解のなきようにお願いいたします。

私も未熟ながら居合いも勉強し、カビの生えた錬士六段を保持しています。ですから一応刀の扱いは一通り学ばせて頂いた。親父が先ず一番に言う事は、刃筋を通す切り方(打ち方)をする為には、正しい刀の持ち方をし、竹刀でも同じ でなければならないということを力説しているわけです。

切れる正しい刀の持ち方と言うのは、刀が振られ物体にあたる入角と、刀の落ちる角度、物体を切り抜け出る角度が、すべて同じ角度に維持されなくてはならないと言うことなのです。

その為には、右手と左手が同じ角度で刀を持ち、同じ角度を維持しながら、同じ力である程度のスピードを持ち、上下(斜め、横)運動をしなければ、刀(竹刀)は刃筋が通らず、物が切れない。

鉄砲の弾はそれ自体、殺傷能力も何も無いが、火薬が爆発する事による力で、スピードが生まれ、物体を貫通する力が生ずるわけで、それが剣道で言うところの冴えに繋がる訳である。

であるから、いくら刃筋が正しく振られたとしても、ある程度のスピードは不可欠なのである。そのスピードは、肩、肘。手首、指などの関節に付随する筋肉の柔らかな伸縮により、刀(竹刀)を振ると言う力で生み出される訳で、右手(押し手)、左手(切り手、引き手)のテコの応用も大事な要素となる。

では刀の刃筋はどのようにして、作り出すかと言えば、刀の柄の形状楕円形の横の凸凹部分を手のひらと指の付け根にあて、反対側の窪みに指先を入れるようにして、柄の楕円形の上部に手のひらの小指球を乗せるように持てば、手の甲が床から90度の角度で持てるはずである。両手の甲の角度が床から90度を保ち左右の手を同じ方向に振れば、必然的に刃筋が立つ事に成る。

要領だけを記すと、左右の手の角度が同じになる事。刀を振るとき刀が手の内で滑らない事。(茶巾絞りを誤解なきように)打つ時に絞らない(打つときに絞ると手の内が変わり刀が手のひらの中で滑るために、刃筋が狂う)絞った状態で刀を持っていると言う事。
この事が理解できて、左手の切り手(引き手)右手の押し手、(つまりテコの応用)が理解できれば竹刀で新聞紙くらいは切れます。

新聞は紙を梳くときの作用で、紙の繊維が横並びに成るので、新聞紙の端にギザギザのある方向から切ると切りやすい。腕が上がればギザギザの無いほうからでも切れるようになります。

切り方は、新聞紙の上部両端を軽く左右に引くようにして、ピンと張り、誰かに持ってもらい、前に吊り下げてもらうか、糸で吊るした洗濯ハサミで、新聞紙の両コーナーを挟み吊り下げる。それを切る練習をしてください。慣れれば段違いで、篭手面も切れますよ。
大振りをする必要は在りません。通常の篭手面の大きさで十分です。ただし、指し面的竹刀操作では絶対切れませんから念のため。

新聞紙が切れると言う事は本当に糸を引いたように、上から下まで一直線に切れます。紙の下の方が、デルタ状につぶれたり、破けたのは切れたとは申せません。

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八段審査 井上義彦  範士

井上範士の話が出たので、ついでに、もう一つご披露します。少し長くなるかも知れませんが、お付き合いください。

私が初めて八段審査を東京で受けたとき、先生は私の審査会場の審査員をしておられました。その日の出来は、自分でもある程度納得のいく立会いが出来たと思っていたのですが、発表を見ると番号がありません。

見事1次審査で不合格。何がなんだか訳が解らずに居ました。一人目の立会いは、応じ胴の応酬で、二本とって、一本返されました。

二人目の立会いはほぼ完全に使いました。籠手、面、胴、面と完璧の出来だと思ったのですが、結果が出ていません。不思議でした。審査を見ていた息子から、「あれで落ちたら仕方が無いよ」と変な慰められ方をしましたが納得出来ません。

何か悪いところがあったのだろう、誰かにアドバイスを聞きたいと思っている所に,一次審査を終えられた(2次審査は審査員が変わる)井上先生が出てこられてました。

ご挨拶をし、「駄目でした」と申し上げた所、「右手だよ右手、右手が竹刀を握ったり、開いたりしている。手の内がパクパクしていると相手が打って来た時、瞬間的に竹刀を握り締めてしまう、すると手元が浮きやすく手の内が固くなってしまうい冴えたうちが出来ない。それと、右籠手とつばの間が開き過ぎている。少なくとも指1〜2本程度にして置きなさい。」と、ご指導頂いたのですが、これを聞いたとき、心底驚きました。

先ず初めは、審査員は何と細かいところまで見ているのか、二つ目は、八段審査とは、そんなに厳しく採点されるものなのか。

そして,合格する為には、一点の曇りも無く完璧でなくてはならない。一本も打たれてはいけない。今更の様に、すごいところに来てしまったなと、改めて実感せざるを得ませんでした。

カナダに帰り、反省を元に原因を探すべく色々工夫をしてみました。二人の息子に頼みパクパク度をチェックしてもらい、柄皮を短くして鍔に右手を密着させ、意識をそこにおきパクパクを出ないようにもして見ました。

しかし、それでは所詮付け焼刃、直ろうはずがありません。それどころか左手までパクパクしていることが判明。大変ショックを受けました。そこで家内に頼み、ビデオで稽古の一日を手元を中心に映してもらったのです。

それを稽古後検証してみて、判明したことがあります。稽古始めにパクパクが多い事、15〜20分するとパクパクの回数が減ることに気づきました。原因を考えました。

カナダでは日本のように道具屋がありません。籠手の修理は全て自分でやります。稽古が好きなので籠手の手の内が長持ちするように厚手の鹿革を用いて居た事。

もう一つは、親子三人が稽古をしているので、道具の長持ちを考えて家に乾燥部屋をこしらえ、で乾燥させて居るために籠手の手の内がカチカチに乾燥していたこと。

稽古を始めて15〜20分経つと一汗かいて、手の内が汗で濡れて革がやわらかくなる。そうするとパクパクが出にくい。そのことに、気づいたのです。八段の立会いも2分。会場では人も多く、場所的にも、汗をかくほどの準備運動は出来ません。

手の内の革をやわらかくする時間が無い。恐ろしいことに、長年の習性が悪い癖を作り出して居たのです。しかし、原因がわかった以上手を打たなければなりません。試合用の籠手は日本に送り、専門家に手の内を変えてもらい別の部屋に保管して、自然乾燥をするようにして、、稽古の籠手も、稽古前にある程度の湿り気を与えて手の内をやわらかくしてから、稽古をするようにしました。

おかげさまで、次回の審査は1次を通過することが出来ました。しかし2次は強い人の集まりです。そこを抜けるのは並大抵ではありません。まだまだ、修行が続いています。

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人の長所短所 井上義彦  範士

平成11年5月、京都大会、毎年泊まる砺波詰め所は、満員で宿泊を断られた。仕方なく京都に向かい、羽賀先生の定宿である平安荘に転がり込んだ。平安荘は今は無いが、武徳殿から歩いて3分。井上義彦範士もお泊りで、よい話が聞けた。
 

長所は人の努力の結晶である。短所は人の不注意の結晶である。だから人の長所の真似はし難い。しかし短所の不注意の結晶は真似易い。長所を見抜いて修行していく人の心が感動を呼ぶ。
 

通常行われる、京都大会の朝稽古の後に、国士舘大学の朝稽古のも参加した。西善延範士九段が国士舘卒と言うことで招かれ、その弟子の井上範士に声が掛かり、私も誘われた。勿論、私は国士舘出身では無いが、師匠の村雲、羽賀両先生が国士舘である。誰に遠慮がいるものか、稽古はしたものの勝ちである。稽古後宿に帰り、たまたま、井上先生と二人きりになった。

「熊さんは静岡の人の一年分の稽古を京都でやってしまうね。何処でそんなに稽古が好きになったの?」

(解りませんがしないの音を聞かないと、落ち着かないんですよ、一種の中毒かも知れません)

「そんな中毒なら犯されたほうがいいよ、カナダでは何日くらい稽古しているの」

(やる気になれば毎日出来ますが、週5日位でしょうか)

「君は日本人以上に稽古をしている、その結果が出ているよ」

(いえ、トンでもありません、未熟な稽古ですみません)

「静岡は 七段に24名挑戦して、4名が合格した。6%の合格率。八段は7年前に合格者が出たきり、今年こそ誰かが受かってくれればいいのだが・・・・。稽古をしないで受けに来る人が多いので困る。まるで岸壁の母だよ。」

(岸壁の母?とは何ですか?)

「もしやもしやで、受けに来る」失礼だが、声を上げて笑ってしまった 。

先生も笑っておられた。笑ってごまかしたが、自分のことを言われたのかと、冷汗が出た。

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背中の壁 楢崎正彦  範士九段

楢崎範士との出会いは、七段受験の帰郷の際、富山での稽古会が始めてでした。その後、トロントの世界大会で再開し、それ以後、何かに付けてお声をかけていただくように成りました。

富山での稽古会の折、私の先輩に物凄く強い方居られ、彼の過去の試合成績を見ても、抜群の成績を残して居られます。その方が、いとも簡単にあしらわれているのに、驚愕をしました。

そのときの思い出を,ある機会にお話をして、熊が(あれだけ強い方が何故八段が通らないのか不思議です)と申しますと、「確かに彼は叩き合いは強いし、上手いし、気迫も抜群で、集中力もあるが、彼の構えには背中に壁がない

だから構えに品がなく、本当の強さが出てこない。本当の強さと言うものは、背中が一枚岩のように、磐石でビシーとしていなければ出てこない。後姿に品位と強さが出てくる。それが出ないと八段は無理。」と言われたことがあり、確かに、強い一流の先生方は、後姿に隙がない。

ビシーとした壁がある。小川先生が何時も言われていた。骨盤の上に背骨がまっすぐに乗り、左足がピーンと軽く張った状態で、臍下丹田に力がみなぎっている。そんな構えが出来て初めて本当の強さが出てくるものだよ。と教えていただきました。自分の後姿はなかなか自分では分かりません。せいぜい気を付けて見たい物です。

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見切り 羽賀忠利  範士

羽賀範士との付き合いは彼是30年近くになります。それだけ多くの事を学ばせて頂いております。そこで前書きは別にして、本題のみ書きたいと思います。剣道における、見切りとは、たくさんの要素があり、一言で片付けるには難しいものがあります。

先ずひとつは、、この間には、距離的間時間的間があります。 これは、空間距離(間)を移動する時間(間)と考えてください。

たとえば、剣道における距離的間(空間距離)は、相手が打突動作を起こした位置から、打突部位に竹刀が当たるまでの距離。それに費やした時間を移動時間と考えられる訳です。

そこで、人間には個人差は在りますが、多かれ少なかれ、反射神経があります。感の良いと言われる人は、俗にこの反射神経が良い人のことを言います。剣道において、初心者の間は、この感の良い人が上達が早い。

ところが、上達するに従って、この反射神経が邪魔になる。反射神経が良いと言う事は、相手の動作に敏感に反応できると言う利点は在りますが、剣道ではこれが命取りになる。例えば、相手が何か動きを起こしたとき、敏感に反応し過ぎると、「ハッ」と驚いたのと同じ事に成りうる訳です。不必要な反応は隙を作るだけ。

そこで、本当の見切りとは、相手が打突動作を起こしたとき、自分の体(打突部位)に当たるまでは、安全な分けですから、何処まで冷静に相手の打突を見極められるか、そこが一番大切な要素になるわけです。もう一度言います。

「相手の打突動作を、何処まで冷静に見て判断し、対処出来るか」これが本当の見切りの重要なポイントなのです。だからこそ、不動心、だとか平常心だとか、冷静に判断できる事柄が剣道では重要視されている訳です。

相手の打突が当たるまでは安全なのです。では、如何したらその見切りが、冷静に判断できるように成るか。それは、「打たれなさい」打たれる覚悟が出来て、実際相手の打突を打たれるまで、じっくり見極める覚悟が出来れば、自ずと、相手の打突動作の全てが見えて来るわけで、どんな名人でも打とうとする際は必ず力が入り隙が出来る。

それを冷静に見抜く判断が出来るように、打たれることを覚悟で、冷静に相手の打突を見極める努力を怠っては行けない。と言われて居ります。昔から「器用(感の良い人)は大成せず」打たれることに腹を括った人が大成する。

空間距離、移動時間を冷静に見極めて、対処する。過敏に反応をしてはいけない。腹を括れ。それが見切りの原点だ。といつも言われ続けています。まだまだ熊は未熟です。

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審判 小沼宏至  範士

先生に初めてお会いしたのは、七段チャレンジの武者修行中、日本武道館での全剣連合同稽古会の折でした、掛からせて頂いたのですが,まったく触る事も触れる事も出来ず、その強さに驚愕したものです。

その後、アメリカのシアトルに巡回指導に見えられた時、心臓を悪くされておられるとかで、ピースメーカーを入れておられて、稽古はされないと言われていたのですが、一緒に見えておられた、梯先生と私の稽古を見られて、心を少し動かされて様で、熊が出来れば是非お稽古をと、おねだりをした事もあり、道具があれば、明日稽古をしても良いと言われ、私の道具で良ければ明日お持ちしますと約束して、片道3時間を バンクーバーまで帰り、翌日の午後、仕事を早く切り上げて、シアトルまで3時間走りました。

その後、国際剣連の審判講習会や、バンクーバーでの審判講習会を、設営、運営を、お手伝いした事や、熊の稽古好きを気に入られてか、そのとき以来、非常に懇意にして頂き、「審判の事」「剣道形の事」理合の事」「稽古の事」は勿論、人生の処世術に至るまで、射竦められる様な、鋭く光る眼光の、すざましい気迫の中お教えを頂きました。先生の悲報を バンクーバーで聞き、思わず飛行機に乗り、何とかお通夜に参列させて頂く事も出来ました。

想い出がありすぎて、何から書いて良いやら、悩みましたが、トロントの世界大会の折の審判講習会で、立ち姿、歩き方、旗の持ち方、揚げ方、指示法、等々徹底的に直されました。その時お教え頂いた、審判の心構えを、ご披露させて頂きます。

君たちは、段が上だとか、先生だからという感覚で、審判をしているだろうが、とんでもない話です。これが真剣なら人の命を預かっているわけです。あなたの旗の上げ下げで、人の生死が決まる。

また、試合をするものにとって,指し違いで負けた場合、それでその人の人生までもが狂ってしまうことがある。特に警察剣道界では試合の勝ち負けで判断され、職を失う事すらある。

将来を嘱望されて、一生を剣道に懸けようと夢を持ち警察剣道界に入ってきて、命がけの稽古を続けて、やっと掴んだ試合のチャンスに、審判の間違いで、人生をひっくり返されたら、その人はどう成ると思うか。

だからたとえそれが子供の試合であっても,仇やおろそかに、審判をしてはいけない。試合者が命がけなら、審判も命がけでやりなさい。その為には日頃から一生懸命に選手以上に稽古をして,眼を明らかにしておきなさい。

試合者が絶対納得の出来る、審判でなくては成りません。審判の姿勢態度が威厳に満ちたものでなくてはなりません。審判をするときは試合者以上の気迫で臨みなさい。

これらを実行することは大変難しい事ですが、自分なりに一生懸命勉強させていただいた事が、三度の世界大会の審判を仰せつかり、大事な場面での審判に起用された事に繋がったのではないでしょうか。

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武士の妻 佐藤範士の奥方

佐藤博信範士がカナダにご指導に見えられた時、奥様もご一緒でした。それはもう、モダンで、品が良く、お綺麗な方で、さすがハンサムな先生に相応しいお方と心に映りました。

当時、カナダの剣道界は、日本の伝統を無視するかの如き背景がありました。彼らは日本生まれでカナダ育ち、もしくはカナダ生まれでカナダ育ち、多感な少年時代を、戦争という特殊な環境に迫害を受けた経験がある人たちが多く居ました。

戦時中日本に帰還して居た頃は日本で敵国スパイなどとののしられ、暴力を振るわれ、カナダに帰国したらしたでジャップと罵られ,暴力の餌食の対象に成っていたのです。

事実、日本人で有りながら、中国人だと偽って暮らした人々が居る位です。自分の母国にも裏切られ、自分の育った国にも裏切られ、大変特殊な苛めの世界を生きてきた。そんな経験が、彼らに及ぼした影響は計り知れないものがあります。

おまけに日本は戦争に負けた。子供心に日本の剣道における、精神性はヤヤもすると彼らには諧謔的なものにしか映っていなかったのかも知れません。ですから、体育館は、あくまで、スポーツジム、道場とは程遠い感覚で、有ったのでしょう。ましてや、神殿に礼、等とは、クリスチャン?感覚からすれば、臍茶物だったに違いありません。

ですから、道場へ靴履きのまま入る事になんら不自然さを持たない人たちが多く居ました。そんな状況のある稽古会で、カナダ剣道界の中心人物が、靴履きのまま、道場に入ってきたのです。勿論佐藤範士はそれをお許しに成る訳がありません。

「仮にもここは道場です。靴を脱ぎなさい」とたしなめられました。その、一件があり、側で見学されていた範士の奥方は、稽古が始まると、ピシーッと正座をされて、1時間30分微動だにもされづ、見学をなさっておられました。

かなりタイトな、おみあし足のラインが出そうなパンツ姿でしたが、見ている私が足が痺れないか、やきもきしたくらいです。その光景に刺激を受けたわけでは無いのでしょうが、奥様のお世話をしていた、我が女房殿も、ご一緒に、お付き合いさせられたような形になりました。

稽古後、多分足が痺れて立てないのでは、という私の心配をよそに、颯爽と立って、歩いていかれました。稽古後の話の席でそのことが話題になり、お聞きした所、居合道を学ばれて居られ、正座は何でも無いとのお話。愚妻も居合いをかじっておりましたので、その場の正座は事なきを得たようで御座います。

指導者の妻として、凛とされたそのお姿に、深い感銘を受け、愚妻が、すごくあこがれて、あの方のように、品良く、美しく、ふけて行きたいと、努力をしておりました。今は懐かしい思い出です。

しかし、今でも其処の道場は、靴履きのまま入る奴らがいる。本当に立派な剣道専用の道場であるにもかかわらず、そんな基本的なことをやかましく、熊が言い続けて来たために、疎まれ、嫌われて、熊の評判がすこぶる悪い。

熊にとって見れば、靴を脱がないのは、単に鈍らなだけ。靴を履いたまま道場に出入りする事は、自分を、自分でいやしめている事の成るのだが、文化の違いとは、それを理解させない大きな壁があるようで

しかし、武士の妻、を垣間見る、この一件で、範士のあの絶対的強さの影には、このご内室の内助の功が如何ばかりかと、察せざるを得ませんでした。

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審査に挑む 榊原 正 範士

熊が六段の審査の前、カナダから手紙で、範士に審査の心構え、留意点を尋ねました。範士のお手紙にはこう書かれていました。
1.端正なる容姿。2.充実した気勢。3.適正なる間合い。そして 剣道は打ち合いなく、攻め合いである。これだけのお手紙でした 。

短いお手紙でしたが、素晴らしいの一言です。実際の審査ではこの教訓を下記の如く留意して挑みました。
1.端正なる容姿
=稽古着は色あせの無い、洗濯したてのものを、背中が丸くならないように着ました。袴は、襞のきちっとついた厚手の綿ものを2〜3度佩き慣らして、硬さをとり、前下がりに佩きました。面紐は結び目より40CMに切りそろえ、道具は試合用の物を使いました。身だしなみにはこれだけの事を気をつけました。姿勢は稽古の中でしか作れません。常に姿勢と構えに気を配り日ごろから、稽古していました。

2.充実した気勢=はその時点では良く解りませんでしたので、当日審査会場に入る前から気合を高めていました。立ち上がって数秒間は力をためて、腹からだし大きな声を出したら、勇気がわいて来ました。言葉が良くありませんが、気分は喧嘩腰で挑みました。

3.適正なる間合い=間合いは近く成らない様に、、又、あわてて打ちを出さないように、剣先が触れるか触れないかの間合いを堅持して、技を出すときは、其処から思い切りせめて、打ち出しました。

打ち合いでなく、攻め合いである事を肝に銘じ、自分の打ちたい気持ちを抑えて、相手に技を出させるように仕向けました。
以上の教えは、今も常日頃、心に留めて稽古をしています。

余談
丁度、審査の前日、富山の板橋範士と食事の帰り、範士が、熊に「無駄打ちをするなよ」と言われたので、(一本に成る打ちは、何本出しても良いのですね。)とお聞きしたら、「そう、一本に成るうちだけを打つ。」「剣道は野球と違い、ヒットが無い、ホームランか、三振かだけだ。」「ヒットは何本打っても、ダメ、ホームランだけ打つのだ。」と諭されました。一本に成らない打ちは全て無駄打ちです。

私の手元には榊原範士の著書、「求める味」手書きのコピーがあります。、本にもなって販売されています。素晴らしい本です。読んでみて下さい。

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修行者 中西 康 範士九段

中西先生が、バンクーバーに来られたのは、香港出身の剣士、朱先生が、カナダに移住され、その伝で、お見えになり、お稽古して頂いたのが、きっかけで、 そのとき、「稽古が出来ている、八段目指しなさい」と言われたのが、きっかけで、単細胞の熊は、おだてに舞い上がり、その気に成ってしまいました。

先生が言われるに「八段目指して、そろそろ京都大会にも顔を見せ、先生方に顔を覚えてもらう努力をしなさい。」当時の熊は、仕事柄、春日本に行く事は非常に難しく、悩んだ挙句、仕事(商売)を 替え、日本に公然と行けて、全国を回れる輸出の仕事を始めました。そして、出来る限り武者修行をしようと、心に決めました。

先生とは、先生の勤めて居られた、会社の専務さんの息子さんや、社長夫妻、 その息子さんがカナダに見えられたときに、お世話した関係で、個人的にも信頼され、非常に可愛がって頂きました、

その後、三度カナダに来て頂きご指導いただきました。そんなある秋の初めての八段審査前の事。九州小倉の展示会の後、帰り道、広島で、朝稽古に出させて頂きました。

そのとき、係りの先生が、「七段以上の先生は基立ちにお座りください。」と言われたので、一番下に座らせていただき面をつけました。

そのとき熊は面紐を天から取っていたために、着装に手間取り、立った時には、かなりの人が前に並ばれてしまい、仕方なく稽古を始めました。そうこうしている内、お相手も強い方ばかりでしたので、熱が入り、時間のたつのも忘れ、一心不乱に稽古をしていたとき。後ろから、怒鳴りつけられました。

「何時まで基に立っているか。」熊はあわてて下に下がり、熊本範士、大越先生に掛からせていただいたのですが、残り時間もわずか、心が焦っていたために、散々な結果で、自分を見失っていました。

稽古後、中西範士の家に帰り朝食を頂いて居た時。「審査前だから、言わずに置こうと思ったが、お前のために言う、八段も受けようとする者が、同格のものと稽古してどれだけの修行になる。熊本君は50代の範士だ。そう云う力のある先生に稽古をお願いしないで、何為の武者修行か、お前は慢心しておる。そんな事で、八段が受かるか」と怒涛のようなお叱りを受けました。

側に居られた中西夫人が、あまりの剣幕に、オロオロされる位に激しいお叱りです。先生は喉頭がんを患われて居られ、術後、お声が十分に出ません。 その傷みを押し殺してまで、大きな声を上げられ叱り飛ばされました。

何故、稽古では下から掛かっていかなかったか、下から掛かるのが当然という事くらいは知っていたはず、不覚!油断!軽率!まことに慙愧の念に耐えない思い出一杯でした。心のどこかに思い上がりが有ったのでしょうか、 七段以上は基立ちと言われ、ついその気に成った事が悔やまれます。

先生のお宅をお暇して、新幹線にのり、先生の熱き心に、嬉しさのあまり、体が震えていました。50を過ぎた男に心から叱ってくれた。黙って見放されていたら、気がつかないまま居たら、恐らく熊は道を誤って、慢心していたわけでは有りませんが、油断をしていたことは事実。道を外していたことでしょう。

その時の八段審査は物の見事に一次で審査で、落ちました。しかし、お叱りを受けた稽古会で、私に下から掛かって来られていた、広島のF原氏は見事に八段合格されていました。このお叱りは心の底から有り難かった。自分の事をここまで、思ってくれてた先生の熱き心に、涙が止まりませんでした。

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名刀&迷刀 榊原 正 範士

榊原範士は第一回全日本選手権者。本来、榊原先生の事を真っ先に書かねば成らないのですが、思い着くまま書き出した為。順不同に成ってしまいました。

範士との出会いは、凌雲館の村雲先生が、富山刑務所矯正教官として職を得ておられ。榊原先生が中部管区矯正教官として、3ヶ月に一度、富山に指導に見えておられ。熊が大人になり剣道を再開して、初めて他県の先生にご指導仰いだのが先生で、 そのときが始まりで。現在の熊の剣道技術の母体が先生のご指導に寄る物で、その影響は計り知る事が出来ません。

話が少し飛びますが、熊にはその後、ご指導頂く事になる。三人の尊敬する先生が居ました。一人は榊原先生、颯爽とした剣風、正確無比な技前は、憧れの的でした。次は羽賀忠利先生、造詣の深い剣理と、上品な剣風、踊りでも見るような軽やかな足裁き。完全に惚れ込みました。それと、西善延先生。すべての物を飲み込んで押し潰して熨してしまうような磐石の強さ。このお三方の剣道をミックスして、自分の剣風にして、物に出来たらと欲張って居りますが、それは死んでも不可能でしょう。

御三方には、今日までもご指導を得ておりますが。頭の中から先生方の剣風だけは、脳裏に焼き付けて稽古をしています。さて本題に戻ります。ある日の稽古が終わり、先生に呼ばれました。「熊、お前の刀(竹刀)を見せなさい。」熊は恐る恐る前に出しました。先生は熊の竹刀を持たれ、「メイトウだな。」と一言、言われました。

日頃から、お口の悪い先生の事、こちらも、それを察知して、(迷う方のメイトウでしょう。)「そうだ。」竹刀が良く割れるものですから、後家で組み合わせて、居ましたので、バランスも悪く使い辛い物でした。

「武士はな、飯を食わずとも、刀と鎧はいい物を買った物だ」「飯が食えぬほど、生活が苦しいわけもあるまい」(ハイ、でも竹刀が直ぐ割れるものですから)「それはナ、手の内が悪いからだ、軽くてペラペラの竹刀で、ピシリ、ピシリ打って竹が割れないくらいになりなさい。」「お前の打ちは鈍痛がする」「それでは切れていないぞ」と諭されました。

鈍痛のする打ち?ショックでした。村雲師匠に その事を言い、何か良い方策がないか聞きました。当時、未だ竹で作った三尺の物差しが有りました。師匠はそれを使い,テコの応用で、押して、引き手(切り手)を毎日やりなさいと、教えてくれました。薄っぺらな三尺の竹指しが横ブレしないで、真っ直ぐに振れるようにと、お蔭様で、少しは手の内が解り掛けてきました。

しかし、カナダでは、中々名刀を入手する事が難しく、ついつい、後家を組みますが、竹を合わせて削り、調子を整えて使うようにしています。榊原先生の想い出はつきません。後でドンドン出てきます。

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浮木 佐藤博信 範士

佐藤先生がカナダにお見えに成られたのは、明治村の八段大会3度目の優勝をされて間もなくの頃でした。

私は その頃カナダから六段を受け、一発で通り、稽古相手も居ない者ですから、少し慢心していた頃の事と思います。稽古をお願いして、その強さに圧倒されました。

当たり前といえば当たり前ですが、熊如きイナカッペが如何こうできるお相手ではありません。しかし、せっかくの機会、約一週間。毎日毎日、必死にお願いして、下手が無理をした物ですから、ぎっくり腰になってしまいました。

とにかく、何処を如何ようにしようと まったく手も足も出ない。触る事すら、触れることすら出来ませんでした。世の中にはすごい人が居るものです。当時、私の友人がビデオを持ち込み撮影してくれていましたので、今でも時々見る事がありますが。熊の右手の固いこと硬い事。あれでは絶対ぎっくり腰になること請け合い。自分で見ても解ります。

ただ打ちたい一心で、ばたばた手打ちで、足掻いているだけで、みっともない事この上有りません。この事がきっかけで、誰か良い師匠に、付かなければ成らないと、思い立ちました。

そのときに先生の右手の柔らかさ、盗み撮りして、真似て見ましたが、中々そう簡単には行きません。

そこでお聞きした所、中島吾郎蔵範士九段は、「打つ太刀は返すたち、返す太刀は打つ太刀」だと。教えられたとお聞きしました。

それと、今ひとつ先生の剣先が柔らかく、全然ある様で、無いようで、無い様で、しっかりある。いつも中心を攻め煽られて息も絶え絶えになりました。そこで、お聞きした所、「浮木」について、ご説明受けました。

水に浮く木辺は右を押さえれば、左が浮き、するりと抜けてしまう。左を押せば、右にするりと抜けてしまう。剣先も同じで、相手が剣先を押さえてきたら、逆らわないで、するりと抜けて中心に戻る。

そうする事で自分の剣先が何時でも相手の中心のあり、攻めが容易になり、気持ちがそこで引っかからない。気にならない。それを、相手が押してきた剣先を押し返えそうとすると、そこに気持ちが囚われ、心の自由を失う結果になる。とお教え頂きました。

それ以来私は、相手の剣先は意識せず、逆らわず、を念頭に、置いて稽古をしています。又、竹刀をチャかチャ音を立てたり、張ったりは、戒めています、竹刀が真剣ならカチャカチャやって、刃こぼれした、した刀で、勝てるわけが、無いと思うからです。自分の命を守る刀、出切る限り、鋭利なままで、置いておく方が、良いに決まってますから。

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安心立命 小川 忠太郎 範士九段

小川先生の事を書くのは熊如きには恐れ多い事です。実は熊の剣道感(信念)のバックボーンが小川先生。崇拝にも近い感覚であがめています。先生との出会いは、凌雲館でした、 その当時、先生のお話はレベルが高過ぎて、理解しがたいものでした。そのすばらしいお話の中で、幾つかの事が頭に焼きついています。その一つが、安心立命の構え。

講話の中、三角矩の構えについて説明がありました。腹 剣先 目が二等辺三角形に成る。その構えが安心立命の構えだとおっしゃいました。

熊は、恐れも知らず、馬鹿ですから、先生にお尋ねしました。(先生、安心立命とは如何なる意味ですか?)「安心して命を守れる事」 小川先生は、講演のときはゆっくりとはですが重みの有るお声で。とつとつと話されます。しかし質問の後のお答えが、ポツン、と一言だけ。一切説明も無ければ、何も無い。愛想がないと言えば良いのか、無駄がナイト言えば良いのか?禅のお坊様は。

それでも、納得がいかない熊は、(その構え崩さず保てば、、死なないのですか?)「相打ち覚悟」(相打ち覚悟なら、命の保障が無いのではありませんか?)「人の尊い命を頂くとき、自分の命も投げ出す覚悟が無くては、勝てるものではない。」「相打ち覚悟なら相手もそう簡単には打ってこれない」「死ぬ覚悟が出来ているから安心立命が出来る。」

形の構えだけが出来れば安心立命が出来ると、浅はかのも考えてしまっていた熊。しかし、現在の竹刀でのたたき合い。死ヌル覚悟で、稽古しているか?本当に恥ずかしい限りです。

「剣道は、生死の境を明らめる物」と言われた範士のお言葉が、耳に焼きついております。如何にしたら、其処へ近づく事が出来るか。一生かかっても其処にいけるか如何か?気の遠くなる話です。

ただ、最近、わずかですが、竹刀での命のやり取りを意識してやれるように、なってきました。先生は。「三昧の境地。」とも話され、それに成り切る事の大切さを、教えて頂いたような気がします。
先生の講和録が残されています、富山での講演、静岡での講演。大変奥の深い読み物です。どこかで手に入れて下さい。

余談。私がカナダに渡る事を知られて、「お前が自身が剣道だと思って、頑張りなさい。向こうに行けば恐らく稽古相手が居ないでしょう。毎日素振りをする事です。素振りさえしていれば、腕は落ちません。毎日する事です。そして弟子を育てる事です。 その弟子を育てて、稽古相手にしなさい。」

カナダに渡り、弱くなりはしないかと、必死でした。七段合格まで。毎日1000本の素振りを課しました。時間で20分です。多いときは、子供をおだてて、子供と一緒に3000本振りました。高々1時間です。自分より上の先生が居ない中での修行。上に掛かれないもどかしさ。上の先生を、日本からお呼びする事に決断。沢山の先生方に来ていただきました。お蔭様で、今は稽古仲間も増え、教え子育ち、生徒から、苛められる毎日です。剣道を続けてつくづく幸せを感じています。

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心の間合い 堀口 清 範士九段

熊が若い五段の頃、堀口清範士、にご指導頂いた時、 稽古後、

「君は形の間合いは良いが、心の間合いが近いですね。」と言われた事が有ります。その頃本当に未熟な(今もですが) 私は、先生に、

「剣道に心の間合いと形の間合いがあるのですか。それは如何言う事でしょうか。」と、お尋ねした。

先生はチョット嫌な顔をされて、それで話が途切れてしまった。それ位は解るだろうとの事で、教えて頂いただいたのだろうが、 その頃の熊は、理解に苦しんだ。

それで、なまくらでズルイ熊は、簡単に答えを求めようと邪心を起こし、大阪の西善延範士が稽古に見えられた時、先生にその由を伝えお教えを 伺った。 西先生は、 「そうか、では直ぐ稽古しよう」と言われ、大阪からの旅の疲れも何のその、お茶を一服されただけで、直ぐお稽古を頂いた。

その稽古の後、 「ヤッパリお前は間合いの取り方が、下手じゃわい」

私も負けずに、 「だからお聞きしているのです」

先生は 「熊、お前幾つに成ったか。」

「はい30歳になりました。」

「そうか、未だ解らんだろうな」

「はあ〜」私が怪訝そうにしていると、 先生が言われるには、 昔、西先生が若い頃、長谷川寿先生(範士九段)に稽古をお願いしているとき、長谷川先生がどんどん間合いを埋めてこられて、 「西、間合いが近い」と叱られたそうです。

先生も若かりし頃で、ムッとして、 「長谷川先生が間を詰めてこられるから、間合いが近く成るのではないですか」と反発したそうです。

そうしたら、長谷川先生は、悲しいお顔をされて、 「西、未だ解らんかな〜」と言われて、お稽古を納められたとの事。私もこの話を聴いて、ますます、何が何だか解らずに、迷宮に迷い込 んでしまった。

ところが、その後カナダに渡り佐藤博信先生のご指導を仰ぐ機会に恵まれ、今だその答えが見つからないで居ますと、 お尋ねした所、先生曰く、

「形の間合いは、剣先が触れ合う所とか、中結いの所とか、目に見える所を言うのだが、心の間合いとは、何処で、相手の危険度、動向を感知できるか、これは何センチという距離ではなく、自分が神経を 研ぎ澄まし、気を張って、何時でも打って出れる準備が出来ていれば、剣先が触れ合わない距離でも、相手の動向が感知できる。そうすれば、相手も其れなりに、相手を感知出来ていれば、 お互いに、打たれることの危険性がある訳だから、なかなか間に入れず、間が詰まらない。神経を研ぎ澄まし、気を張っていなければ、何処まで間に入られても危険度を感知できない。」とお教えを頂き、自分も何となく理解が出来るまでに成っていました。

既に6年の歳月が過ぎていました。

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熟れた柿 西 善延 範士九段

熊が八段を目指し、日本全国を武者修行をしていた頃、大阪の清風高校の朝稽古で、西範士と賀来範士に稽古をお願いして、その後、休憩室でお茶を頂きながら、ご指導を仰いだ。

「 熊、お前、幾つに成った。」オット又年の話かよ、と思いながら、「はい50を過ぎました。」と答えると、「年の割りに稽古が若いの」と言われ、褒められたものと思い、ニヤニヤご機嫌で居ると、「熊 、お前は何で渋柿を無理して食うのか」先生の話は何しろ謎が多い、解らんので、「ハ〜」といぶかっていると、「柿はな、食べ頃になると、天然自然の恵みを受けて、柔らかく、甘く成って、落ちてくる、そこをパッ と手を出して受け止めれば、何も無理せんで、美味しく頂ける物を、お前は、未だ熟してもおらん、渋柿を木を無理やり揺すり、地面に落ちて汚れた柿を食っとる。」と戒められた。

そこに丁度居合せた、賀来範士が、 「センセ、それがわかれば、八段でっせ」と横槍を入れられた。そして、学校を後にして、地下鉄に乗るために、駅に向かう途中、賀来範士が熊に、小声で、「明日の朝、西先生に一番で、稽古をお願いしとる、朝6時までに修道館に来なはれ、今日の答えが見つかりまっせ。」

突然のお誘いに、「明日の商談は朝10時までにお相手の会社に行けばいいので、喜んで、出させていただきます。」と返事して別れ、その日一日の商談と会社訪問を終え、その夜、大阪城に一番近いホテルを取り、早めに寝た。

翌朝、修道間に出向き、稽古が始まった。範士お二人は70才を超えて居られると思う。お二人が立ち会われた。そのお二人の、剣先のやり取り、間のやり取り、緊張感がビシビシと伝わって来る。その時正直「凄い」と感動して拝見していた。 

そして、お互いに手を出さない。いや、出せないのが、本当の所では無いのだろうか、お互いに隙が無い、気持ちに揺るぎが無い。そして延々と攻め合いが、緊張感の中で続く。そのビリビリ伝わる攻め合いを、拝見しているうちに、謎が解けた。

これだ!!、熟した柿の落ちる機会をお互いに狙っている。相手の心に動揺が出る機会を待ち、探り合いをしている。その動揺を発動させようと、攻め合いが続いている事を感じた。 まさにそれは、竹刀での真剣勝負。斬るか、斬られるか。

それに引き換え、俺の稽古は、何だ?機会でもない所を強引に打って出て、相手の剣も心を無視して、ただガムシャラに竹刀を振り回していた。無理やり、渋柿を揺すり落としていた。お二人の稽古を見ているうちに、感動で鳥肌が立ってきた。

羽賀範士がいつも言われていた。 「打つ前が剣道。打ったら運動。」熟した(機会が熟す)柿が落ちる瞬間。(神経を研ぎ澄まし気を張って居なければ機会は捕らえられない。)無駄打ち(稽古が若い)を無くすのではなく、無駄うちが出来ない。そこまで 自分の剣道を、昇華させなければ本物では無い。大変有意義な朝でした。

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横振り剣術 渡辺敏夫範士 「範士」(熊)

たしか、凌雲館に招聘された第一号の先生が渡辺敏夫範士でした。範士には2度富山に来て頂いて、でご指導を頂いた。当時私は、確か4段程度でしたが、先生に大変気に入られ、最後に先生の竹刀を頂戴しました 。

今でも記念にとってありますが、今思うと,熊は当時から物怖じしないと言うか、厚かましいと言うか、(苦笑)で何度も何度も範士に稽古を挑み、一度の稽古にに3度掛かり、4度目に行くと、熊、もう良い!!と断られました。

しかしメンの中では笑って居られ、食事会のとき、熊を手招きされて、言われるには、「自分の稽古を後ろから誰かに見てもらえ、」(それは何故ですか?)「昔、俺が学生の頃、中山博道先生にお稽古お願いして、良い様にあしらわれてしまい、それを順番待ちで後ろで 見ていた、学友が、「(渡辺、お前の竹刀は先生の体から縦横無尽に外れているが、博道先生の竹刀はお前の体の外で、お目にかかれないぜ)」と、言われたとの事です。つまり。剣先が相手の体の幅の中で働いている。この事を意識して稽古をしなさい。

竹刀を振り回すのは良くない。出来るだけ相手の中心線から剣先を外さず、刷り上げ、返しも、相手の体の幅のなかで出来るように、工夫をしなさい。と教えられましたが、今だに中々出来ない。しかし、それだけは今でも稽古のときは意識して稽古を続けています。

今はビデオがあるので、時々、稽古を写してもらいます。がっかりしますよ。自分の下手さに。自分の気付かない欠点が露に出てる。しかし昔は学生さんでも、見取り稽古が出来ていたんですね。時代の何が変わったのでしょうね。

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幻の片手突き 渡辺敏夫  範士

ついでに、そのとき教えて頂いたもう一つの事が有ります。範士がお稽古中、富山では大先生がお願いされていました。
その大先生が、範士の片手突きをいとも簡単に、決められてしまいます。おまけにその先生が、何かの拍子に、スッテンコロリンと、こけてしまわれた。自分では何か魔法を見ているような気にさせられてしまいました。

その事をお風呂で範士のお背中をお流ししている時に、そっと聞いてみました。範士は、「あれは、機会だけの問題だよ。相手が、前に出る瞬間、竹刀の 柄尻に小指を掛けて、スーとまっつ直ぐに突く。(チョット左手を少し上へ持ち上げられるように示された) そのとき、右足を出し、突きは左手を出すので、体は相手に真正面に正対して向く、だから意外なほど相手に力が届く。」と教えられました。

それで次の日のお稽古のとき、その事を見よう見真似で、範士に試した所、まぐれもまぐれ、大まぐれ。範士の喉下に私の剣先が吸い込まれるように入り、一瞬自分の目を疑いましたが、範士がグラ〜、とされた。そして、ニコ〜と笑われ、「ウン〜頂戴。」それで、 その日のお稽古の後、ご褒美に範士の竹刀を頂いたような訳です。

今思うに、あの時のお風呂、二人しか入れなくてよかったな〜。先生方のお世話は、絶対進んでさせて頂くのが幸運を招く。しかし私は今。片手突きはあまり遣りません。それ以上に、メンに拘って捨て身で打つことを勉強しているからです。
70歳でも過ぎれば、思い出して、遣って見ますか?(笑い)

それでも、あの時は、延々と、基本の打ち込みを遣らされたな〜、紙面で説明できないのが残念ですが、特に足裁き、気剣体の一致。
やかましく、やかましく、ご指導されたことを、思い出します。

そう言えば、今、あのような足裁きは、皆無ですね。お目にかかれない。
皆さん試しに、チャレンジして見ますか?、一挙動の早素振り、(跳躍素振り)有りますよね。あの足裁きで面返し面。面応じ胴。
打てますか?足は右左きちっと、別々に動かしてですよ。両足、一緒に出たり入ったりしないように、念のため。(でも多いよこの足)
突きの話がそれてしまいましたね。だから言ったでしょ。私は突かないって。逸れるから(笑い)

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万有引力  賀来俊彦範士  「範士」 (熊)

熊が京都大会の朝稽古に参加するとき、必ずお稽古をお願いする何人かの先生がいます。そのお一人が 賀来範士。

範士との出会いは、七段受験で日本を武者修行で回っていたとき、大阪の清風高校の朝稽古で、西範士にご紹介頂いたのが始め、その後、トロントの世界大会のとき、審判員として、見えられたときに再会。色々お話を聞き、大変面白い先生で、一度に好きになりました。

それ以後、事あるごとに、お教えを請うています。京都の朝稽古の後、熊は範士の話を聞くのが楽しみで範士を探します。大抵は武徳殿の前の喫茶店かその横に店を張る武道具店で休んでおられる所に行き、稽古のお礼を述べに行くのです。ホンマ、オモロイデ〜。

範士は、まるで、吉本興業と契約されているかと思わんばかりの、ユニークなご指導を頂けるのですが、これが楽しい、心に響く。

「アンナ、今朝お前と稽古したやろ、お前、万有引力を何と思うとる?」(ハア〜?)何のことか解らず、訝っていると。

「万有引力は地球が引っ張る力や,解るやろ」(はい)

「ホナナ、何でお前万有引力に逆ろうとる」(はあ〜?絶句!!)

「大体、万有引力は何処へ向こうて、力が働いとる〜」(サア〜?)

「地球の中心や、地核言うんかいな、そこに、向こうて力が働きよる」

「地球の中心やで、中心」(はい、それは理解できます)

「ホナラやな、お前さん地球の中心に向こうて立って構えてるか?」(サア、意識した事が有りませんが)

「ソヤロ、だから、ダメなんや、」(といいますと?)

「構えが方寄っていたらやな、真っ直ぐ打てるか、刃筋が立つか」 (ハア〜確かに)

「セヤロ、だからやな、地核向かって90度に立つ、それでエエ構えが出来る。」(では如何すれば地核に向かって90度に